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高橋凌峰ががんばるブログです。

20分の価値、1時間半の価値

時間は有限です。ここ最近そのことを切実に感じています。あっという間に29歳になり、20代も残り1年となりました。まさかこんなに早く時間がすぎるとは思っていませんでした。特に20代は、その大半をうつ病で過ごしていたこともあり、本当に苦しい時期を過ごしました。今はアルバイトで生計を立てているのですが、1日1日が本当に早いです。多分皆さんも感じているかもしれませんが、子どもの時と時間の流れ方が全然違います。小学校時代は夏休みは3週間ほどでしたが、その長さに飛び上がるほどの興奮を感じていたことを覚えています。なにして遊ぼうか。そればかりに夢中になり、バスケットゴールを持っている友達の家で暗くなるまでバスケに明け暮れていました。今は3週間なんてあっという間です。気がついたら1ヶ月が終わっているなんてザラにあります。なぜこんなにも時間の感じ方が違うのでしょうか?社会人になってスケジュール管理をやるようになった、ロジカル・シンキングが身についてきた、仕事に追われてゆっくり時間の流れを感じる隙がないなど、いろいろ要因はあると思いますが、恐らく刺激の感じ方が変わってきたのも要因の1つだと思います。

 

20分の価値

これは小学校では2限目か3限目の終わりにある比較的長い休み時間です。他の小学校は知りませんが、僕の通っていた地元の鹿島台小学校は1日に一回20分の休み時間がありました。通常の10分の休み時間に比べたら2倍もあるのです。僕はこの20分の休み時間を毎日待ち遠しく過ごしていました。確か毎日友達とドッチボールやサッカーをしていたと思います。授業終了の鐘がなると校庭に駆け出し、チームを分けて試合が始まります。サッカーならサッカーで、ドッチボールならドッチボールで夢中になって試合をし、気づいたら休み時間終了の鐘がなって急いで教室に戻るなんてことをしていました。他にも校庭には他の学校にはないアスレチックや遊具などもあったのでそれらで遊んだり、体育館裏に行ってトカゲをとったりして遊んでいました。結構活発な子どもですね。その時間は小学生の僕にとっては今とは比べ物にならないほど価値があった時間だと思います。今はどうでしょう。20分時間があったら何をしますか?恐らくタバコを吸う方はタバコ休憩をしたり、スマホでゲームをしたりして過ごすのではないでしょうか。恐らく大人になった人は子ども時代ほどその20分に価値を感じなくなり、暇つぶしに利用する程度する方が大半だと思います。ですが、これってすごくもったいないというか、大切なものを見落としていると思うんです。確かに小学校時代は勉学が本文であり、授業時間に縛られていたのでそこからの開放という意味で10分、20分という時間でも外に出て夢中になって遊んでいたのだと思いますが、恐らく僕らが子どもだった時には外界からの刺激に対して敏感だったと思うんです。これは、子どもゆえの好奇心を刺激されるということですね。だから男の子だったら虫取りとかサッカーなどのスポーツをその少ない時間でも楽しんでいたのだと思います。これがだんだん大人になってくると外界からの刺激に慣れるようになり、そしてその20分という時間を「浪費」として使うようになるんですね。やはり仕事は忙しいですから、休憩も必要です。ただ、その20分で何かできることはないでしょうか。英語の学習でもHTMLのコードを覚えるでもなんでもいいです。現状の仕事で満足しているならいいですが、何か新しいことを始めたいと考えているならその時間を使って何かできるのではないでしょうか。ご自身の好奇心が満たされるのは何ですか?これからの自分のスキルアップに役立つであろうものはなんですか?これは僕にも言えるのですが、最近何かに没頭するということがなかなかありません。それ自体に夢中になり、時間を忘れて取り組んでしまうという体験です。これはなぜでしょう。恐らく、結果を気にしてしまうからじゃないでしょうか。結果を気にするあまり好奇心が働かず、すぐに諦めたり、続かなかったりするというのは多くの方が経験があるはずです。子ども時代を思い出してください。夢中になって遊んでいる時に結果のことなんて気にしていましたか?恐らく誰も結果のことなんて考えていなかったと思います。ただそれ自体の行為が楽しいから夢中になって取り組んでいたと思います。大人になると、仕事では結果が求められます。そのくせがプライベートにも影響し、趣味としてやろうといた事が続かないなんてこともあると思います。僕もまさにそうです。結果が出なければ意味ないんじゃないかなんてプライベートでも考えていました。でもそうすると何も楽しくないんですよね。常に結果だけを気にするので、プライベートでもイライラするようになりました。じゃあこんな時はどうすればいいのか。ひとまず結果のことなんて考えないことです。そして目の前のことに無心になってとりかかってみましょう。これは禅においても大事な考え方です。修行僧は毎日早朝に起きて、庭の掃除、寺内の雑巾がけ、お経、庭にある石の整理など様々な雑務を淡々毎日行うそうです。その時に一つ一つの意味を考えながら行うととても苦痛で通常の精神ではいられないそうなので、ただ無心になりそれらの作業を行うそうです。そうするとただの石の整理でも自分で工夫するようになって楽しめるようになってくるといいます。大人になると常に時間を気にしながら生きていかなければなりません。そして一つ一つの行動が結果にどう繋がるかという考えも重要です。ですが、そればかりだとやっぱり辛いですよね。仕事では大事な考え方ですが、プライベートではその考えを忘れて、自分の好奇心の赴くままに無心になって何かに挑戦してみてください。20分という時間の流れは過去も現在も同じです。ただ、その時間をどのように使うかはあなた次第です。僕であればこの20分は情報収集に使います。本を呼んだり、ネットニュースを見たり。僕にはまだまだ勉強しなければならないことがたくさんあるので色々な情報を得ようとしているのですが、本は読めば読むほど自分の考えの幅を広げてくれるし、新しいことを知るというのは好きなので時間が開けば情報収集をしています。ですが、僕も焦り過ぎな面もあるので、もうちょっと余裕を持って取り組んでみてもいいかもしれません。20分という時間を価値あるものにできるかどうか、結果にこだわりすぎずに考えてみてください。

 

 

1時間半という価値

僕にとっての今の1時間半は、ペースが良ければ5000字程度の記事をかくことができる時間です。1時間や1時間半などの時間があればひたすら記事を書いていますね。実際家では20時位に帰ってきてずっと記事を書いています。これは僕にとって未来に繋がる時間で、とても大事にしなければならないものです。なので、帰ってきたらテレビや漫画などは一切見ず、ひたすらパソコンの前に構えてカタカタやってます。皆さんは1時間半時間があれば何をしますか?まあ、その時いる場所や状況によってできることは変わりますが、僕はPCを持たず街にいたとしても次の記事のアイデアEvernoteに書いて考えたり、お店に入って商品の情報収集などもしています。1時間半あれば20分という短い時間と違い大人でも色々なことができます。読書するでもいいですし、買い物をするなどもあると思います。ただ、この1時間半は20分より時間が長い分どう過ごすかでその価値は変わります。家にいるならリラックスタイムとしてテレビやYoutubeを見たり漫画を呼んだりして過ごすこともできます。ただ、ここでも問いますが、この時間を使って何かスキルアップできることはありませんか?僕の場合ならアフィリエイトで収入を得るためにひたすら記事を書くことです。TOEICで点数を取りたい方なら1時間半あれば模擬テストもできますよね。何かしらの資格試験を受けようと検討している人でもその情報収集や、勉強で有益な時間を過ごせるはずです。ここで大事なのは明日に引き伸ばさないということ。やるべきことを後回しにしないということですね。確かに疲れて帰ってきたのでゆっくりしたいしリラックスタイムは必要だという人もいると思います。ただ、時間は有限です。そんなこと言ってる暇はありません。夏休みの宿題ではないのです。1日24時間しかない中で、未来に向かってどう過ごすかという姿勢はとても大事です。あなたのライバルはこうしている今でも一冊でも多くの本を読み、僕の場合は1つでも多くの記事を書いているかもしれません。物事は一つ一つの積み重ねで、いきなり飛び級なんてことはありません。奇跡に頼ってもそれはあなたの実力ではありませんし、身になることはないと思います。であれば、行動するしかありません。もしあなたに将来やりたいことがあれば、行動を起こしましょう。行動でしか

未来は変わりません。そのために行動しやすい環境を整えるというのも一つの手です。まず、テレビを捨てましょう。そして、家に帰ってきたら机の前に座りましょう。自分を邪魔するあらゆる物はシャットアウトしてください。そうすることで誘惑はなくなり、勉強に集中できる環境になります。考えてるだけでは意味がありません。とりあえず行動はいつの時代でも鉄則です。今ある時間を有効活用できるように今から何ができるか、思いついたら実行していきましょう。

 

今回の記事は自分のためにも、時間に対する意識を高めるために書きました。冒頭でも述べましたが、時間は有限です。1年なんてあっという間です。ですが、その1年の中で何をしてきたのかで2年目以降は確実に変わります。面倒だという気持ちも分かりますが、やはり行動あるのみです。僕は20代の大半をうつ病で過ごしました。非常に無駄な時間を過ごしてしまったという自責の念が拭えませんが、これも今後の僕の行動の仕方次第で変わると思います。もしこのまま何もしないで生きるのであればただ残念な人のままで人生を終わることになります。もしこれが今の仕事で成功し、自分の望む未来を手に入れることができたのならどん底からの脱却ということになり、多くの人を勇気づけられることになると思います。果たして未来は変えることができるのか。行動あるのみです。そのために今日も明日も明後日もPCの前でカタカタします。今はこれしかできることがありません。ですが、行動の積み重ねで未来は創ることができます。不安になることもあります。ですが、そんな時こそ「没頭」です。本当に結果に結びつくのかは分かりませんが、未来を怖がっていても仕方ないです。修行僧が無心になって石を並べるように、無心になってお経を読み上げるように、それ自体の行為を楽しんで、時間を忘れて没頭するようにします。自分の子どものころ、確かに持っていた好奇心を思い出し、前に向かって進んでいきます。というか、人生前進しかないのです。過去に戻ることなんて誰もできません。僕も何度も過去に戻ってやり直したいと考えたり後悔したりしました。ですが、そんなこと不可能です。考えるだけ無駄なんです。これには最近気づきました。遅すぎますよね。であれば前に進むしかありません。無駄に過ごしたと考えているこの20代を価値あるものに変えることができるのか。僕の新しい挑戦です。子どもの頃のように、ワクワクしながら挑戦します。時間を大切にしながら。自戒の念をこめて。

 

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