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高橋凌峰ががんばるブログです。

悪いことを楽しもう!人生落ち目にあった時に笑うコツ  

人生順調に行けば悩むこともないでしょう。ですが、長い人生です。どこかで悔しい思い、悲しい思い、絶望、後悔など、気持ちが落ち込んでしまう様々なトラブルがおこると思います。実際自分の人生も順風満帆ではありません。実際、人よりも多くの苦難を経験したと思っています。そんな中今も元気に生きています。では様々な不幸にあった時にどのように考えれば落ち込まずに笑って生きていけるのでしょう。今日は僕の過去を振り返りながら、いつでも前向き考えれるマインドセットをご紹介します。

 

失業した時

僕は2回失業しています。転職ではなく、失業です。1回目は大手ネット広告会社に勤務していた時に東日本大震災と会社の不祥事が重なり、人員整理が大量に行われた時に僕自身も対象になって次の転職先も決まらないまま入社してからわずか8ヶ月で無職になりました。その次の会社もうつ病により退職しています。当然、当時は先の事について不安に感じていました。ですが、全く今は気にしていません。むしろ会社を辞めてよかったと思っているくらいです。ではなぜそのように考えることができたのでしょう。理由は、2つあります。1つは普通に会社で働いていたら会うことができない人に会えたからです。企業人として働いていても営業であれば様々な経営者の方と会う機会があると思います。その方々と経営視点から様々な話ができるのも楽しいと思いますが、今僕の周りにはそのような人ではなく、同世代の起業家がたくさんいます。そのような人たちと出会うことができたのは僕の中で大きな刺激になっていますね。仕事はもらうものではなく創るもの、という感覚の人が多いです。実家の農家を継いで一般社団法人を立ち上げた友人もいますし、大学を卒業して学習塾を立ち上げた人もいます。また、前職はCAをやっていた方で、僕と同時期に通訳・翻訳として起業した女性もいます。もちろん皆順調に売上を伸ばしているなんてことはなく、なかなかお客さんが集まらないで苦戦している人もいます。ですが、みんな前向きなんですよね。苦しいこと、不安なこともたくさんあると思うのですが、それを表に出さず、歯を食いしばって頑張っています。そんな姿を見ると、僕も頑張らなきゃ、って思うんです。学習塾を運営している人に、「正社員で働くという選択はないんですか?」と聞いた所、「正社員に何のメリットがあるんですか?」という答えが帰ってきた時は、軽いカルチャーショックを受けました。僕の周りでは今までそんな考えを持っている友人はいなく、僕自身は起業自体には興味を持っていましたが、そこまで言い切る人は初めて見ました。しかも、僕の一個下です。今は本当に起業という選択肢も選べる時代です。勉強が得意であれば個人塾開くのもいいですし、何かものづくりが得意ならそれをBASEなどのネットショップで販売すればいいんです。僕の前々職の先輩で30代からプログラミングを学んで起業している人もいます。ネタはなんでもいいんです。興味が有るものがあって、それを極めればビジネスになります。そうすると、普通の人生では出会わないような人に出会うことができると思います。僕は本当にまだまだですが、早く自分のビジネスを軌道にのせてもっと色んな起業家に会いたいと思っています。

もう1つは、困難な道を選ぶほうが楽しいからです。これには最近気づきました。うつ病患者が何言ってんだ、と思われそうですが、最近やっと昔の自分を取り戻せたんですよね。昔の自分って、むしろ悪い状況のほうが楽しいって思う子どもだったんです。人に嫌われたら、「やべ、嫌われちゃったw。どこが嫌いになったんだろう?」と逆に興味を持っていました。また、高校時代の話ですが、僕が所属していたラグビー部は弱小で、大会では毎回一回戦敗退が普通でした。メンバーも体が小さい子が多くて、僕は180cmあるんですが部活の中では僕が一番体格としても大きい方でした。そんな才能も体格も無いチームがたまに強豪校と試合することになると、決まって僕のやる気はヒートアップしていました。「絶対このメンバーで倒してみせる!」。まあ、結局勝ったことはないんですが、強ければ強いほど僕のやる気は上がっていったんです。大学のラグビー部でも、埼玉工業大学と試合した時にものすごくガタイのいいトンガ人留学生に負けじとタックルに行っていました。これは勇気でも何でもなく、ただの興味ですよね。「普通の人が強い人を倒したら面白いだろうなー」。こんな感じです。なので、状況が悪ければ悪いほど、その状況をどう覆すかということばかり考えていたように思います。要するに、戦略が好きだったのかもしれないです。その名残か、今はマーケティングを勉強するのも面白く感じていますね。子供の頃よく見ていた映画も影響があるのかもしれないです。舞台はアメリカで、アイスホッケーをテーマとした作品なのですが、特に能力や才能がない子どもたちを、これまたアイスホッケー経験がない監督がどうやって全米一のチームになるかというスポ根感動映画にはまっていた時期もありました。この精神は今も残っていますね。弱者が強者を倒す。考えただけでワクワクします。

また、人と同じことをするのが嫌いな子でもありました。右を向けと言われたら左を向くし、服も誰かとかぶっていたら嫌だし、団体行動とかも苦手でした。まあ、協調性のない子ですよね。だから、無理に自分を周りに合わせようとして鬱になったのかもしれません。まあ、こうして見てみると感性は人と違う部分が多かったのかもしれないです。なので、長くなりましたが失業してよかったと思っています。1つの道を失うということはまた新たな道が拓けるということですからね。むしろ起業したほうが大きなリターンを得ることができると思います。楽しんでいきましょう。

 

 

うつ病になった

うつ病は約9年間やってます。これもやっちゃってますね。まさか自分がうつ病になるなんて思いもしませんでした。ですが、これもなってよかったんじゃないかななんて少し思っています。うつ病は要するに精神病です。精神を病んでいる状態の時は自己肯定感が低く、自己否定に走り、過去を後悔し、未来を不安がり、攻撃性も高くなります。実際僕も体験してみて、ふつうの精神状態ではありませんでした。明らかに精神異常者です。身体症状もめちゃくちゃ出たし、心が死にそうなくらい悲鳴を上げているんです。なまじ普通の病気になったほうがいいんじゃないかと思うくらい自分をコントロールできませんでした。ですが、約1年半の療養を経て今はだいぶ良くなっています。今冷静になって考えてみると、確かにうつ病にならなければ進みたい道もやりたいこともたくさんあったし、今と違う現実になっていたと思います。ですが、今はこの状況に関して悲観的にはなっていません。むしろ活動の場を広めるきっかけにもなったと思っています。今現在日本には100万人ほどうつ病患者がいると言われています。決して少ない数字ではありませんよね。うつ病って健常者には本当に理解されにくい病気で、自分と闘いながらもがき苦しんで治していくしかないんです。僕自身も僕の苦しみをなんとか理解してもらおうとうつ病を告白したりどれだけ苦しいのかを説明したりしたのですが、理解してくれる人は少数で、むしろ甘えるな!とか言われたことがあります。いやいや、甘えてないからうつ病になったんでしょうよ。これは本当にショックでしたね。でも、僕はそういった人たちの気持ちが分かります。そうゆう人が僕の近くにいれば、相手の心を理解することができると思います。近いうちにそういったうつ病患者達のために何か力になれることをしたいと思っています。うつ病から社会的に成功した人を集めてトークライブなんか開いたりするのも面白いですね。なので、今となってはこのうつ病をどうやってブランディングに活かそうということしか考えていません。悪い経験のほうが人の共感を呼びますし、興味がそそられますからね。そのために今のビジネスを頑張って起動に乗せたい今日このごろです。

 

親に自分の夢を否定された

僕は高校の頃、大学には進まず柔道整復師の専門学校に行きたかったんです。でもその時は親の反対に会い、地元の東北学院大学に進学することになります。ですが大学で所属したラグビー部でトレーナーとしてチームに関わることで、柔道整復師に対する想いがまた強くなりました。就職活動の時期に入った時にまた親に相談しましたが、また父親の反対に会い、ここで夢を諦めることになります。普通であれば21歳なんていい大人なんで、反対を押し切って仕事をしながら貯金して専門学校に通うという選択もあったのですが、このころ僕はうつ病真っ最中。人生に絶望するだけで何も行動を起こしませんでした。ですが、これも今となってはどうでもいいことのように感じます。確かに柔道整復師として地域に貢献し、スポーツトレーナーとして母校に関わっていく人生も魅力的ですが、その後に会社で出会った人たちも魅力的だったんですよね。おかげで人生の仲間と呼べる人にも出会うことができました。どちらがいいとはいいませんが、でも親に抵抗する気概はあってもいいですね。だって自分の人生ですから、どうしようと自分の勝手です。そこで学費や何やら言いがかりをつけてくる親なんて、子どもの幸せを願う本当の親ではありません。親の子に対してあるべき姿は、その子の存在をただ感謝し、肯定する親です。子どもは親のために生きているのではありません。どんな人生を歩んでいてもその子の幸せを願い続けるのが親の役割です。それを考えると干渉しすぎる親のなんと多いことか。塾でも親子関係に悩んでいる子どもはたくさんいます。僕が親になった時には自分の好きなことを思いっきりさせてあげられるような親になりたいですね。そうしないと本当の意味で親から自立できる子には育ちません。これは僕自身もそうでした。なので、まあ今となってはどっちでもいいですが、どんな人生を歩むにせよ、子どもの夢を肯定的に受け止め、応援できる親が増えてほしいものです。そしてそれと同時に、子どもを支配したがる親のもとで子どもが育ったとしても、子どもはそれを間に受け止めず、それを糧に反抗心を養って欲しいとも思います。僕の場合は真に受けちゃって自己肯定感が低い子どもになってしまったのですが、今くらい心が回復していれば一度ぶつかってみてもよかったですね。そうしたほうが逆に絆が深まる可能性もありますし。まあ、話は逸れましたが、どちらにせよ、人生は一期一会です。夢も、一期一会です。夢がなくなったらまた新しい夢を作ればいいだけです。落ち込まず、前に進みましょう。

 

今回は自分の人生の転機になった3つの事柄を紹介しました。細かいことを言ったらもっと大量にあるんですが、今回は伏せておきます。まあ、3つとも普通に見たら最悪ですね。でも、今なんだかんだ無事に生きています。そして、この間無事に29歳になりました。まさか実家住まいでフリーター、貯金無しの状態で29歳を迎えることになるなんて思いもしませんでしたが、逆に笑えますね。笑っちゃいましょう。そして人生を楽しんでいきましょう。僕の好きな言葉の1つに「1つの扉が閉まれば100の新たな扉が開く」というものがあります。確かインドのことわざだったように思いますが、考えてみれば僕の人生って本当にそうなんですよね。思い通りになったことなんて1つもないと思います。ですが、要所要所で素晴らしい出会いがあります。なんとまあ曲がりくねった人生ですが、でもそっちの方が面白いかもしれませんよね。「1つの扉が閉まれば100の新たな扉が開く」。この言葉はまさにそのとおりだと思います。普通は扉が閉まってしまったら光を見いだせず、真っ暗な中不安でいっぱいになると思います。でもよく周りを見渡せば、色んな扉があることに気付きます。そのたくさんある扉の中からどれを選び、どの扉を開けるも僕達の自由です。うつ病にが酷い時は僕は未来に希望なんて見いだせていませんでした。まさに真っ暗なトンネルを手探りで歩いていた感じです。前は見えないし、足元も見えない。暗くて、不安で、絶望に押しつぶされそうになっていました。ですが、本当はそうじゃなかったんです。よく見れば色々な扉があることに気づきました。その中の1つの扉を僕は今開けようとしています。扉の先には何があるか分かりません。ですが、僕はワクワクしています。このワクワクがあればどんな世界が広がっていようと楽しめるはずです。悪いことを楽しむたったひとつの条件は、その状況にワクワクする事です。そうすれば何が起きても楽しめます。さあ、ワクワクしながら、その扉を開きましょう。

 

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