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高橋凌峰ががんばるブログです。

うつ病を自覚しないまま社会に飛び込んだ結果、けっこう大変なことになった件

僕は医者に20歳の頃くらいからうつ病になったんだねと言われました。20歳というと大学2年生位、その頃から不眠症、身体の脱力、気力の減退など、自分の身体の不調は感じていました。まさかその当時は自分がうつ病だなんて思いもしませんでした。自分の将来に希望を見いだせず、就職活動をするも全て失敗、大学卒業後は結局就職先が見つからなかったので一時期アルバイトで生計を立てていました。その後、当時日本に進出したばかりのグルーポン・ジャパンに営業として入社するのですが、仕事をしていてとても苦痛な毎日を過ごしていました。当時はとにかく人が怖かった。お客さんに会うのも怖かったし、上司も先輩も怖かった。誤解のないように言うと、本当は上司も先輩も同僚も素晴らしい人達ばかりでしたが、その時は自分は対人恐怖症にもなっていたので、一人でビクビクしていたのです。営業なので数字が命ですが、怒られるのが怖い、人の目が怖いという感情をなんとか抑えながら営業活動していました。でも、自宅に変えればベッドから起き上がる気力も出ず、それでも休むことは自分のなかで許されない行為という強迫観念に似たものがあったので、欠勤は一度もしませんでした。自分の身体を追い込みながら。結局グルーポン・ジャパンでは8ヶ月勤務し、その次の会社でうつ病が更に悪化し、2014年3月に長期療養のため退社することになるのですが、もっと早く自分の現状を認識して適切な判断で療養すればよかったと思っています。退社後は実家に引きこもり、ベッドから起き上がれない日々が続きました。無職という状況、うつ病になってしまった自分を徹底的に否定し、自己嫌悪し、自分の過去に後悔し、一人でもがき苦しみ、2015年の9月2日には自殺未遂もしました。なぜ、こんな状況になってしまったのでしょう。それはやはり、自分の幼少時代に原因があると思います。僕は1986年の12月1日に岩手県で生まれました。親は両親とも高校教師で、僕が小学1年生の時までは石巻市の何もない田舎で過ごし、その後現在の大崎市鹿島台に引っ越しました。家族構成は両親と弟、妹の5人家族です。両親とも高校教師であればさぞいい家庭なのだと思われそうですが、実際そんなことはありませんでした。僕の父親は農業高校で農業や工学の指導をしていました。とても向上心の高い人で、定年退職した後はJICAプログラムでブータンに行き、現地の農業支援で2年間滞在していました。帰国した後も岩手大学の大学院にさらに自分の学びを深めるために生徒として通っています。そんな成長意識が高い人なのですが、自分の固定観念が強い人間で、自分の流儀に当てはまらないと激高しやすい人間でした。頑固ともまた違います。特に自分が幼いころはその癖が強く、父親に怒られることを怖がりいつもビクビクしていました。漫画ダメ、アニメダメ、ゲームダメ、テレビでさえもエンタメ系は全て禁止されていました。友達から借りた漫画を読んでいるとバカになるからそんなもの読むなと怒られる始末です。自分に厳しい人間だったので、他人への要求も厳しいものがあったのかもしれません。そのおかげで夫婦仲も最悪でした。今はめっきり少なくなりましたが、昔は毎日のように夫婦喧嘩が勃発していました。その理由も父親による理不尽なものが多く、母親の泣く姿もよく見ていました。僕はこれが本当に嫌で、家にも自分の居場所を見出すことができませんでした。母親も母親で僕に仕事や父親の愚痴をこぼしたり、笑っていたかと思えば急に機嫌悪くなったりと、とにかくそんな両親だったので人が怖いという脅迫観念がこの頃に植え付けられたのかもしれません。学校でも人とのコミュニケーションの取り方がわからないのであまり多くの友だちができず、一時期いじめも受けていたせいもあってさらに内気になります。この当時は本当に人間関係がダメでした。習い事として乗馬クラブにも通っていたのですが、そのクラブでも人間関係が嫌で行きたくなくてたまりませんでした。でも約6年間ほど通いました。理由は親に行きたくない、辞めたいと言えなかったから。言ったらまた怒られると思っていたんです。なので、僕は自分を押し殺して、我慢して通っていました。今思えばその頃にちゃんと反抗すればよかったと思います。子どもにとって反抗期は大事です。精神的にも親から自立する過程で一番大事な時期なので、反抗期に入ったら親御さんはむしろ喜ぶべきだと思います。でもその時は、僕に取って親は恐怖の対象でしかありませんでしたので、反抗することもできません。この頃から自分を抑圧し、いい子面するようになりました。結局その癖は今も治っていません。というか治っていないからうつ病が進行したのです。高校でも大学でも同じように人間関係で悩んでいました。大学のラグビー部ではそれが顕著でしたね。部活に行くのが本当に嫌で嫌で、でも逃げるのは許されないという変な根性論は持っていたのが運の尽きです。結局、自己肯定感が持てず、自己否定にはしり、自分の楽しみを持てず、周囲に自分の心を開けないままうつうつとした学生時代を過ごしていました。そんな人間が社会でやっていけるはずがありません。最初に戻るのですが、グルーポン・ジャパンではいつまた父親のように怒られるか、そればかりを気にしながら会社に行っていました。次の会社でも人の目を気にする癖は治らず、とても苦しい毎日を過ごしました。営業に出ていて何度対向車に突っ込めば楽になれると思ったことか。何度飛び降り自殺をしてやろうと思ったことか。実際に当時遺書も書いています。でも、本当に自殺してしまったら周りの人が悲しむかもしれない。良くも悪くも周りの人を気にしていたので、今結局生きているんですけどね。こうしてさらっと振り返ってみても、あまりいい人生ではありません。

では、このような状況になってしまった場合、今後どのようにすればいいのでしょうか。とりあえず、自分の体に異変が起きている、最近うつっぽいと感じたら、すぐに心療内科に行くことをお勧めします。大丈夫です。最初は少し抵抗感があるかもしれませんが、心療内科にいけば以外にこんな若い人も悩んでいるんだということがわかり、少しホッとすると思います。そして医師の人には自分の現状をありのまま伝えて下さい。医師によってアドバイスだったり、処方する薬は違ったりしますが、もしこの医師とは合わないと思ったらすぐに別の病院にも言ってみてください。僕は結局自分に合った医師を探すため、6回位病院を変えています。あと、薬は必ず飲んでください。僕は最初は抗うつ薬に抵抗があり、薬をもらってもあまり飲んではいませんでしたが、自殺未遂後に別の病院に行った際に処方された薬を飲んだら結構楽になりました。それまでの薬が自分に合わなかったということもあるでしょうが、薬はやはり大事です。ベッドから起き上がれない、トイレに行く気力もない、人の目が怖い、夜寝れない、頭が割れるほどの激しい頭痛、記憶障害、身体の痙攣、感情がコントロールできず爆発する時がある、文字が読めない、人の話していることが理解できなくなる、激しいネガティブな感情に苦しめられる、パニックになることがある。これらは僕が経験したうつ病の症状です。もしどれか1つでも当てはまったら病院に行ってください。何の病気でもそうですがうつ病も早期発見早期治療が肝です。もしうつ病が進行してひどい状況であれば、求職、もしくは会社を退職して長期療養に入ったほうがいいと思います。退職しても失業保険の延長で10ヶ月間は十分な手当がもらえます。その中でとりあえず療養し、次の事は後で考えましょう。これ本当に大事です。うつ病で療養してもなかなか治らない理由の1つに、焦りがあります。次の職場のことやうつ病になってしまったという罪悪感、社会から離脱してしまった後悔などを考えて、焦ってしまいなかなか精神的にも休めず、もし復職してもうつ病が再発して失敗する可能性が高くなってしまいます。そうならないためにも、焦らずしっかりした療養は大切です。大丈夫です。人生なんとかなります。周囲の目なんか気にせず、しっかりと休んでください。むしろ、過去にそうゆう体験をしたほうが今後の人生に役立つかもしれませんよ。人と比べず、自分らしくある方法模索してください。そのほうがよっぽど幸せになれます。今日本では鬱病患者は100万人ほどいるので、政府もそういった人の就労支援も推進しています。うつ病患者を雇用したら、その企業に一人あたり100万円の支援金が出るとか、リクルートうつ病の就労支援を促すリクルートサイトも運営しています。ハローワークに相談するのも手ですが、うつ病になったとしてもそれを受け入れる土壌はできつつあります。もしくはうつ病での療養期間を利用してアフィリエイトで起業するというのも手ですよね。アフィリエイトは難しいですが、軌道に乗れば一人で完結できる仕事です。余計な人間関係も持たなくて済みます。選択肢はたくさんあります。なので、今はまず焦らずに療養してください。

社会って大変です。僕もそうですが、人が悩む理由の多くはお金、健康、人間関係の3つのどれかです。特に人間関係で悩んでいる人が多いのではないでしょうか。アドラーも人間の全ての悩みは人間関係であると言っています。人に嫌われたくない、好かれたい、仲良くしたいなど、社会でおこる犯罪の多くも人間関係が原因だと思います。本来人間は自由なはずです。なのに、目に見えないものに怯えて暮らすなんて、これこそ不自由ですよね。僕も例に漏れず人間関係で悩んでうつ病になりました。なので、まずはこの人間関係の悩みから脱出することが今の目標ですね。そうすれば、他人の目や親の目なんか気にせず、自分の好きなことに没頭できると思うんです。他人がどう評価しようと、自分の人生自分のものです。何歳になっても自分の好きなことをしている人間に僕はなりたいと思います。中途半端な友人関係なんて、むしろ断ち切ったほうがいいのかもしれません。友達はまたできます。むしろ、これからできる友人のほうが生涯を共にする仲間になるかもしれません。その仲間と出会い、いい仕事、良い人生を送るために今があるのです。過去のことは考えず、今を大事にしましょう。そうすれば、いずれ過去があったからこそ今の自分があると自身を持って言えるはずです。この考え方はホリエモンもメディアや書籍で論じていますが、禅における基本スタンスも同じです。「過去を思わず、未来を憂いず、今を生きる」。人間は昔から変わってないんですね。やはり、こういったことは先人に学ぶのが一番です。先人が残してくれた知恵を学び、自分の人生に活かして見てください。温故知新です。

とにかく、自分のこれまでの人生を振り返ってみましたが、大事なのは過去に縛られずこれから何をしていきたいのかということですよね。自分は過去に縛られすぎました。親に縛られすぎました。これからは自分の生きたいように生きてみたいと思います。一度の人生ですから。

 

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