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高橋凌峰ががんばるブログです。

自分の強みと弱みは何なのか、考えてみる

人によって個性は様々あります。容姿、性格、趣向、経歴、人間関係など、同じような人間は一人としていません。その中で強みもあれば、当然弱みもあります。では自分の中で強み、弱みは何なのか、過去を振り返りながら考えます。

 

○小学校時代の自分

性格

内気。家庭内の雰囲気が悪く、学校でも自分を出せない。付き合っているグループも内向的な友人ばかり。

 

遊び

小学校時代は家での遊びはだいぶ制限されていたが、それでも父親がアウトドア好きということもあって釣りやヨット、キャンプ、山登りなどは家族でしていた。家族旅行は、父親の地元である岩手や親戚のいる青森などに行っており、またアメリカやドイツなどの海外旅行もこのころは行っていた。しかし当時の自分は旅行は特に好きでもなく、できれば家にいたかった。遊びで熱中していたものと言えば駄菓子屋にあったアーケードゲーム。当時は格闘ゲームが好きで、キングオブファイターズを友人と少ないお小遣いでやりこんでいた。だがゲーム自体は弱く、あまり戦略を考えずにプレーしていたので、あまり上達はしなかったように思う。あとは遊戯王カード。レアカードを求めてコレクションをするのが楽しかったが、いざ友人と勝負しようとするとここでも強いカードが自分の手元にないせいで負けていたと考えて、具体的な戦略は考えずに勝負する傾向があった。ミニ四駆は改造したりするのが楽しかった。教室で4コマまんがを書いて友達に見せていたのもあった気がする。ギャグ系。あと、遊びではないが幼い弟と妹に本を読み聞かせていて、いかに面白く読んであげるかという所のもしていた。

 

勉強

このころはあまり勉強ができるような子どもではなく、成績も真ん中くらいだったように思う。得意科目も特になく、平凡な生徒だった。

 

習い事

・柔道

小学校低学年の時に通っていた。寝技が面白く、いかに自分に優勢なポジションを取るかという所で面白みを見出していた。

 

・書道

まず母方の祖母が書道の先生をやっていたこともあり、その祖母から習字を習っていた。途中仙台の書道教室にも通っていたが、硬筆より毛筆の方が好きだった。毛筆のあの力の入れ具合で書いた文字が変化する様が面白く、いかにプロが書いたように見せるかという部分に面白さを見出していた。

 

・バスケ

小学校の高学年から学校のバスケ部に所属していたが、正直なにをしていたのか思い出せない。ただ、そこでできた友人と、家にバスケゴールのある友人の家で放課後や休みの日には暗くなるまで少人数でバスケをしていた。

 

・乗馬

小学校4年生くらいから利府の乗馬クラブに通うようになった。このころは親の勧めで入会したが、友人もいなかったので面白さは見出していなかった。

 

 

○中学校時代

性格

性格はあまり変わっていないように思う。相変わらず自分を出すのが苦手。思春期だったが、性の話も苦手で友達についていけなかった。ただ、バスケ部に入部したことや別の小学校から来た人も多く、付き合う人間は変わった。女子には苦手意識を持っていた。クラスの中心人物に対して少し劣等感もあったかもしれない。

 

乗馬

乗馬は中学校3年間続けた。だが、自分の意思で続けたのではなく、親に無理やり行かされている感覚で、本当に行きたくなかった。乗馬クラブには同年代の人もいたが、既にグループが出来上がっており、なかなかその輪の中に入れず苦しい思いをしていた。だけども障害飛越に関しては障害を飛ぶ感覚が好きで、決められたコースもいかに短縮させるかという所で自分なりに楽しさは見出していたと思う。しかしやはり人間関係がダメだったので、毎回行きたくないと思いながら親に連れられて行っていた。

 

バスケ部

バスケ部には乗馬クラブに行く土日は休んでいたが、平日は休まず練習に参加した。正直上手い方ではなく、いつも監督に怒られていた。部活終わりに居残りしたり、夜近くのスーパーの駐車場で自主練もしていたので、努力はしていたと思う。中学校時代に背が急激に伸びたこともあって最終的なポジションはセンター。しかし、レギュラーにはなれず。このころからなぜかプレーしていると目がちかちかして頭が痛くなる現象が起きていたので、既に抑うつ状態だったのかもしれない。プレーは下手なりに工夫していたので、レギュラーメンバを抜いたりしたときは達成感はあった。が、やはり上達したいという思いが薄く、人間関係での悩みが大きかったので目的意識もなく部活に行っていたと思う。部事態は弱小。群予選敗退。

 

勉強

成績上位ではなかったと思う。ただ、友人に勉強を教えてあげることもあった。塾には行っていない。

 

趣味

趣味はなし。バスケと乗馬オンリー。

 

○高校の時の自分

性格

自分が出せないところは変わらずだが、仙台の高校に行き、中学時代の友人はいない環境だったので、クラスの中心メンバーとも話すような関係は構築できた。

 

留学

高校一年の時に留学したが、正直、コミュ症のまま留学したので人間関係には苦労した。それでも向こうの人達は良くしてくれ、徐々に友人もできた。だが変な英語を話したら恥ずかしいという思いがあり、積極的に会話して英語を上達させようとはしなかった。何のために留学したのか。本末転倒。

 

部活

部活はラグビー部に入部。父親の勧め。本当は体操部に入りたかった。体操漫画の「ガンバフライハイ」の影響。今思えば美しさを求める体操の特性に惹かれたのかもしれない。やはり完璧思考。だが父親に逆らえずラグビー部に入る。部活の面白いところは普通のクラスでは関わらないような人とも同じ部活に入ることで関わるようになれること。ヤンキーっぽい奴とも友だちになった。だが、相変わらず自分をどう出していいかわからない。

留学から帰ってきた後は自分が1個下の学年に入ったこともあり、色々と微妙な関係に。だが、自分が3年生になると年齢的にも一番上になるので、全員が後輩という関係に。部長をしていた。後輩は自分を慕ってくれたので、部活が居場所だった。体もチームで一番大きかったということもあり、後輩のタックルを跳ね返したりして自分の強さを魅せつけるのが楽しかった。しかし所詮弱小ラグビー部。大会は初戦敗退。一番の年長ということもあってか、なぜかこの時も監督からいつも怒られていた。

 

 

・乗馬

乗馬は高1までやっていたが、その後辞めてラグビーに専念。

 

・友人関係

高1の頃は割と友人ができたが、留学から帰ってきた後年齢の差もあり、友人と呼べる友人はできなかった。無理して相手に合わせようと頑張ってはしゃいだりしたが、所詮無理しているので微妙な感じ。なので、楽しかった記憶はない

 

趣味

趣味は特に無し。あえていえば、留学時代に同じホームステイ先に住んでいたノルウェーの留学生から教えてもらった洋楽を聞くことくらい。だが、洋楽には高校の頃本気でハマった。特にロック。CDは高いので買えなかったが、毎週のようにタワレコに行って新曲情報をチェックしたり、TSUTAYAでCDが100円レンタルの時に一気に20枚ほど借りてMDに落としてとにかく貪るように聞いていた。夏フェスにはお金も時間もなくいけなかったので、夏フェス特大号を買って写真で会場の雰囲気や気になるアーティストのチェックなどもしていた。その時にラグビー部の後輩に聴きやすい洋楽を教えた所、その後輩がどっぷり洋楽にハマったのは人の人生を変えた唯一の成功体験。この頃から自分の持ってるリソースで人を変えることができるようになりたいと思うようになる。

 

・勉強

中の上。得意科目は留学していたこともあって英語。好きな科目は国語。特に現代文。国語では毎回テストの時にどんな文章が出てくるのか楽しみだった。この時に村上春樹の文章のかっこよさに惚れた。受験勉強は部活を引退した10月から始めたが塾には行かなかった。なぜ行かなかったのかといえば塾に行ってる奴に負けるかという根性があったと思う。そのためかなりのハードスケジュールで勉強し、大学に合格する。

 

 

◯大学の時の自分

性格

少し変わったかもしれない。中学高校の時のようなグループによる派閥などは薄いので、今まで関わらなかったような人とも交流したりした。部活でも体育系特有のノリがあるので、少し自分の殻を壊せたかもしれない。

 

部活

体育会ラグビー部に入部。同期は10人。全体で40人ほどのチーム。東北・北海道では一番強く(それでも関東とは大きな差があるが)、僕が一年生だった当時の4年制は黄金世代と言われる人たち。僕以外同期は全員スポーツ推薦で入部しており、いずれも東北の強豪から来た人たちばかりだったので、1人弱小校出身、一般入試で入った僕は最初は圧倒された。しかし、その中で自分でも通用することが分かり、周りをわかせるようなプレーをすると優越感に浸れた。他大学の体の大きい外人留学生など、自分がこいつを倒せばスターになれると考えていた。この頃は向上心も高く、上手い人のプレーを真似たり、自主練もやっていた。寝る前にイメージトレーニングもやっていた。だがそれも長く続かず、2年生の時に約1年ほど療養するような怪我をしたため、その後は腐り、復帰後もいいプレーができず、自分が4年生の時の最後の大会はレギュラーから外された。それでも、その中でスポーツトレーナーという形でチームに貢献することができるというところではやりがいを感じ、むしろこっちのほうが合ってるのではないかとも思った。メンバーが活躍するために技術の習得は怠らなかったし、夜でも自分の家(当時は大学近くに殆どのメンバーが一人暮らしをしており、自分も住んでいた)に呼んでマッサージしてあげたりしてた。チームで自分にしかできないことを見つけた感覚で、むしろ使命感さえ感じていた。マッサージもテーピングも完璧にして選手のパフォーマンスが最大限発揮できるようにという思いで望んでいた。マネージャーの手伝いもしていて、マネージャー以上の仕事もしていたのでやはり自分はサポート側が合っていたのだと思う。しかしプレーヤーとしてはダメ。人間換気では、自分は部活の中ではいじられ役で、自分をネタにして他の人が楽しんでいるのを見ればある程度は自分も人の役に立っているという感覚を覚え楽しく感じるが、度が過ぎたり何かを強要されるのはものすごく嫌だった。そういった事が増えたこともあり、最後の方は本当に辞めたくて仕方がなかった。飲み会でも周りを盛り上げるために嫌なこともさせられた。それでも逃げるのはダメだという強迫観念があり、最後まで辞めず体を引きずって、酷い時は酒を飲んで勢いつけてから部活に行ったりもしていた結果、うつ病になる。だが、人と交流することが苦手な自分にいじられ役という役割を当ててくれた同期には少し感謝もしている。

 

部活以外の交流

人間関係を部活だけには依存したくなかったので、同学科や授業で一緒になる別学科の人と交流を持つようにしていた。顔が広くなると優越感にひたれるため。

 

勉強

勉強は頑張っていたが、目的意識も特になかったので遅刻欠席は当たり前。しかしレポートや論文作成は楽しかった。情報収集をして自分なりに編集すること、そして自分の意見や考察を取り入れてまとめる作業が楽しい。また、教授の意見に反抗するようなレポートを書いたりして、逆に評価をもらったこともある。

 

趣味

ゲーム。部活の友人は同じ地区に全員住んでいたということもあり、麻雀ばかりしていた。自分は誘われても行かず、他の友人とゲームばかりしていた。この頃はスマブラドラゴンボール。どちらも格闘ゲームで、強い友人をどう攻略するかという部分で1人コンピューター相手に黙々と戦ってスキル向上を図っていた。相手と距離をとりつつ、奇襲攻撃をかけて技にハメ、自分はダメージを回避するためにいかに逃げるかという部分がキモ。後は洋楽。高校の頃程ではないが、大学時代でも様々なCDを借りて音楽を聞いていた。高校の頃は割と2000年代を攻めていたが、この頃は90年代、80年代など段々とマニアックな方に流れて行き、ジャンルもロックだけではなくジャズなど幅を広げていった。聞くだけではなく、Wikipediaを使ってそれぞれのバンドストーリーや人物背景なども調べて知的欲求を満たしていた。後は100円セールになっているCDをジャケ買いしていい出会いを探したりしてた。

 

 

就職活動

親に柔道整復師、スポーツトレーナーという夢を否定されたため、他に何をすればいいか分からず、結果就職浪人。何社か受けたが全て落ちた。

 

 

グルーポン・ジャパン時代

営業として入社。元気のいい人達が多く、刺激的だった。しかし対人関係が苦手ということもあり、営業活動にはかなり抵抗感をもちながらやっていた。でも自分ががんばれたのは所属していたメンバーのおかげ。朝8時~深夜24時まで普通に仕事し、休日出勤もあったりしたが他のメンバーが前向きだったため自分もがんばれた。この時の団結感は高く、同じ目標を持って戦う同僚は戦友という感覚だった。営業だったが一番やりがいをもったのは、契約を取った後。一番ユーザーに受けやすいメニュー構成はどうすればいいか、お店の魅力を文章や写真で様々な角度からいかに魅力的に見せるかという編集作業などが面白かった。それで完売したら達成感は大きかった。むしろ売れすぎて心配になる位な事もあった。あとは後輩(と言ってもほとんど年上だったが)にアドバイスしたりするのも楽しかった。自分が先輩から受け継いだもの(楽しんで仕事する姿勢など)を今度は自分が作るという意識でやっていた。

 

コセキ株式会社時代

この頃はうつ病マックスだったので全てが苦しかった。仙台営業所、盛岡営業所にもいたが、人生に絶望し、一番苦しかった時代かもしれない。

 

無職時代

約1年間ほぼ毎日ベッドの中。人生に絶望していたが、この状況はなんとかしなければならないという思いもあり、周りの友人にうつ病を告白。しかし、肯定的に受け止めてくれる人は少なく、結局は他人事。それで苦しみ倍増。この時に友人ってなんだろうと考えるようになった。また、行動すればなにか見つかるかもしれないということで、体を引きずりながら福島でがれき処理などの災害支援、石巻で乗馬体験指導、アフィリエイト塾参加などもしていたが、結局はもがき苦しんでいた状況で、自分のうつ病は一向に好転しない。しかし、この時に行動していたからこそ新しい出会いがあり、今の状況がある。行動と出会いで人生は変わると実感。

 

現在

現在は塾でアルバイト、テレアポのバイト。塾では個性がある子が多く、その個性を殺さず、それを強みにしながらいかに育てるかというところを考えてしまう。これは自分が今まで置かれてきた環境における不満からくるのだと思う。また、ラグビーにおける、どんな体型や身長の人でも活躍するポジションはあるので、その影響からその子はどういった場所であれば活躍できるだろうと考えてしまう。テレアポの方はアフィリエイトで収益が出れば速攻辞めたい。

 

 

 

自分の特徴

・文章を書くこと、特にそれを編集する作業が好き。自分なりの完璧な文章ができると嬉しい。ただそうすると時間がかかる。

・1人でやる作業の方が自分なりに工夫したりして最高の結果を出すようにしようと思っている

・チームスポーツより単独スポーツのほうが合っていたと思う。体操やればよかった。

・チームスポーツをしていたとしても、スターでありたい

・自分の凄さを見せつけたいと思っている。特別視されたい

・自分にとって完璧だと思うものを創りあげることができれば満足感は得やすい傾向がある。これを考えれば人に対する貢献心などもしかしたらどうでもよかったのかもしれない。

・自分が作った完璧に仕上げたものを求められればそこに承認欲求を感じやすい。これがトレーナー時代の使命感につながっていたと思う。

・総じていえば職人気質。

・完璧なことは美しいと思っている

・むしろ美しさを追求する性格のような気がする。芸術家思考なのかもしれない。

・速さよりも時間をかけて完璧なものを作りたいと思っている

・周りに変人と思われたい。同様に、変な人も好き。

・他人と同じになりたくない。

・でも周りの目は気にする。

・今まで怒られてきた分、周りから褒められたい。羨ましがられたい。

・洋楽の情報を色々な所で探していた経験から、新しい情報の収集は好きかもしれない

・その集めた情報を自分の意見を入れながら文章を書くのは好き

・ハマれば没頭できる

・変化のあるものが好き。予測不可能なものが好き。これは習字の毛筆の時に味わった感覚かもしれない。そしてそれをとらえようとすることも好き。

・人を楽しませることは好き。だが、強要されるのは嫌。

・自分を出してこなかったので少し自分を偽る傾向がある

・また同じ目標を共有できる戦友が欲しいと思っている。

・どんな人にも魅力はあり、それを最大限発揮できるようにしてあげたいと思う

・人に合わせるのが苦手。団体行動が苦手。

・だが交流範囲は広げたい。色々な人と交流することで「顔が広い」と思われたい。優越感に浸りたい。

・流れには乗りたくない。反抗したいという思いがある。みんなが右向けば左を向く、みたいな。そしてそれを評価されたら嬉しい。(例)レポートで教授の意見に反抗した時

・人の人生を変えたいと思っている(例)洋楽を教えた後輩

・営業が苦手だったのは、相手からお金を取ることに抵抗感があったから。しかしそれを乗り越えれば完璧な仕事をしようと努力する。

・他者へ要求することが苦手。

・それから考えるとプッシュ型より向こうの方からきてくれるプル型の方があっている。

・〆切が苦手。〆切を意識すると心にゆとりがなくなる。

・後輩を育てたいという思いがある

・アドバイスするのは楽しい

・自分の利益のためだけに仕事はしたくない

 

 

結論

アフィリエイトは自分に向いている仕事かもしれない

過去の失敗体験はあればあるほどいいという話

僕は29年生きてきましたが、失敗の人生しか歩んできませんでした。

僕の親は両親とも教育者なのですが、専門職の人特有の頭の硬さが特に父親にあり、

父親の気に喰わないことがあれば激情的に怒られる幼少時代を過ごしました。

友達の家にも自由に遊びに行けないし、家にはゲームも漫画もないし、

エンタメ系のテレビ番組も見ることは許されないため、

幼いころからNHKのニュースを見ていた記憶しかありません。

 

特に驚いたのは当時友達が家に泊まりにきた時に小型テレビで

こっそりその友達と当時はやっていたGTOを見ていた時、

ただのドラマであるGTOさえも見ることは許されず、

その時も怒られました。

 

そのおかげ学校の友だちとの共通の話題もなかなかなく、

苦悩な毎日を過ごしていました。

家族仲もその父親の正確も相まって悪く、

夫婦喧嘩が絶えない毎日で、母親が泣かされることも多く、

それにビクビクしながら過ごしていました。

 

それだけではありません。

当時僕は学校でいじめも受けていました。

まあ、今考えればたわいもないようなものかもしれませんが、

ですが当時の僕にとってはとても嫌な思いをさせられました。

それを学校の先生に相談したらみんなの前で僕をいじめている人を探そうとして、

そんなこといじめを受けている当人の前で発表するかなんてすごく

嫌な気持ちになっていました。

 

習い事として乗馬も習っていましたが、

その当時の僕は人間関係が本当に苦手で、

親に連れて行かれるたびに本当に嫌な思いで通わされていたことを思い出します。

その人間関係が苦手なところは高校に入っても治らず、

高1で親の勧めでNZに留学することになるのですが、

現地でも友達はできず、帰ってきたら帰ってきたでいっこ下の学年に入ったので

周りからはちょっと違う人という目で見られていたので

コミュニケーションも上手くいきません。

 

大学では高校でもやっていたこともあってラグビー部に入るのですが、

そこでも人間関係で嫌なことが多く、本当に苦痛の毎日でした。

 

社会人になっても当然治りません。

なぜか人間関係が苦手なくせに営業職になり、

そこからまた苦痛の毎日が繰り返され、うつ病になり、現在に至ります。

 

こうしてさらっと自分の人生を振り返ってみても、

全ての時代で人間関係で悩んでいます。

そこから自己否定に走り、自己嫌悪しまくり、

自信喪失の果てに自殺未遂もするのですが、ま、結局今生きてますけど、

僕は親の影響が大きいのかなと思っています。

 

医者にも言われましたが、親が厳格であったり、厳しく育て過ぎたり、

干渉しすぎたりすると自分に自身を持てない人間になるそうです。

自分で好きなことに没頭し、自分で判断できる能力が養えず、

ひとりの人間として成長できなくなるそうです。

 

大人になってから後悔したこともたくさんあります。

ですが、ここで重要なのは、全ては自分で選択した結果今の状態が

あるということです。

これは、うつ病で療養している間に読んだアドラーの「嫌われる勇気」から

学んだことですが、アドラー的には全ての行動には「目的」があるそうです。

アドラー心理学は「原因論」ではなく「目的論」で考える心理学です。

例えば、本の中に書いてあったことなのですが、

引きこもりの子どもがいたとして、

その子どもは「原因論」でみれば学校でいじめられて引きこもるようになったと

考えることができますが、「目的論」で考えるアドラー心理学では

その子どもの「引きこもり」という行動にも目的があるとのことです。

 

その子にとっての引きこもりの目的は、

「親に同情してもらいたい」というものだそうです。

と、考えたら、自分のこれまでの行動にも目的があったのかななんて考えます。

乗馬クラブに通ってて嫌だと言えなかったのは「親に怒られないため」、

高校に入ってラグビー部に入ったのは「親に怒られないため」

(当時昔ラグビーをやっていた父親の勧めでラグビー部に入りました)、

大学でラグビー部に入ったのも父親のすすめで、

これまた「親に怒られないため」。

 

げんなりしますね。

それが真実かどうかは分かりませんが、

でも1つはっきりしていることがあります。

それは、全て自分が選択してきた結果、今があるのだということ。

家庭環境が悪ければグレるという選択肢もあったと思うし、

家から離れたければ高校から下宿なんて選択もあったと思います。

まあ当時そんな余裕はなかったのですが、

でも全て結果的に自分が決めてきたことなんですよね。

親の意見を気にしながらなんて言っても、決めるのは自分なんです。

て考えたら、人のせいに(自分の場合は自分の人生が悪くなったのは

親のせいだと考えていました)するのはとんだ的はずれな考え方なんですね。

 

酷かもしれませんが、あなたの(自分も含め)全ては自分の選択した結果

今があり、全て自分の責任なんですね。

無職になったのも、貯金ないのも、うつ病になったのもそうです。

もっといえば自分がそうしたいと思ったからそうなったわけです。

酷ですが。

ですが、これを逆に考えてみましょう。

これは言い換えれば思考は現実化するということです。

要するに、人生思い通りなんです。

でも、恐らく多くの人がこれに気づいてはいないのでないのでしょうか。

だから、後悔したり、愚痴を吐いたりするんでしょうね。

本来人生は自由なはずです。

人は幸せになるために生きてるはずです。

だから、プラスイメージは大切なんですね。

プラス思考とまではいいませんし、マイナス思考がよくないともいいませんが、

将来に対してプラスのイメージを持つことは大切です。

これが人が成長していく大原則です。

 

そもそも人間の能力に大差なんてありません。

違うのはイメージの在り方です。

例えばサッカーの本田選手や野球のイチロー選手は、

小学校の作文で自分は将来サッカーで有名になる、

野球で成功する等の夢を掲げていたそうです。

それも超具体的に、行動レベルまで落とし込んでいたそうです。

でも、他の子はそんな具体的になんて考えていません。

そのため練習量や努力の仕方が明らかに変わってきますし、

一つ一つの行動に目的を持って取り組めるので、

無駄は一切なくなります。

成長しかしない訳です。

 

一方サッカーで強豪になんか勝てない、

甲子園になんて出場できる訳がないなんて考える人はその通りの

行動しかしないんです。

その結果、ある意味でお互い自分の望む人生を得ることになる、

あるいはなってしまうんですね。

 

では、なぜこんなにも違うじんせいになってしまうのでしょうか。

その原因の1つに環境があると思います。

ふと周りを見渡せばなんとまあネガティブな意見が溢れていることでしょうか。

親にしても、先生にしても、友達にしても、夢なんて叶えられない、

好きなことで生きていくなんてできないなんて考えている人が

多いのではないでしょうか。

そりゃそうですよね。

だって、周りの人達はそのための行動をしてこなかった人たちなのですから。

 

僕たちは、良くも悪くもお互いに影響しあって生きています。

特に自分の生活している範囲にいる人達の影響力は強いです。

だから変な人に見られたくないと思いますし、

周りに合わせようとしてしまうんです。

でも、言ってしまうと、それも結果的にあなたの下した選択ですよね?

人によって環境は違いますし、周囲に振り回されずに自分の信念を持って

生きている人もいますが、大事なのは全ての責任は自分にあると考えることです。

 

そうすれば周りに影響されることも少なくなります。

本田選手やイチロー選手はその自責の考えができていたのではないでしょうか。

こう考えることができれば、人生は自由です。

あなたがサッカー選手でACミランでプレーするのも、

起業して会社を興すのも、営業でNo.1になるのも、

無職であるのもニートであるのも全て自由なんです。

だからこそ自責の考え方は大事ですし、

人生の大部分はそういったマインドセットでできているのではないでしょうか。

 

そんなこと言ってる自分もこのマインドセットの大事さには最近気づいたばかりです。

これはやはりアドラーの「嫌われる勇気」が大きかったのでしょうね。

マインドセットのあるなし、マインドセットの質の善し悪しで人生は分かれます。

この考えでもう1つ言えるのは、人生に遅すぎることなんてないということ。

人間いつだって挑戦していいし、そもそもその行為自体に良い悪いなんて

他者が判断する事自体がおかしいんですよね。

 

だってそれはあなたの人生だから。

他者にとやかく言われる筋合いはないんですよ。

やりたいことがあるのであればそれを実行に移さない手はないです。

失敗したらどうしようなんて思いも出てくるかとは思いますが、

それもマインドセット次第です。

自分が心からそれをやりたいと思っていたら周りのことなんて

どうでも良くなるはずです。

 

むしろ身体の中心から意欲が湧いてきて、

失敗なんてありえないと思えるはずです。

僕は、こんな、自分の心からやりたいことをやっている人を増えれば良いなと

思っています。

そうすれば、もっと面白い社会になってくると思います。

そのためには、まず自責の考え方を身につけることですね。

そしてこれまでの人生に後悔しているのであれば自分の過去にも責任を持つこと。

少し勇気がいりますが、これができるようになるとあなたの人生は

より良くなると思います。

 

そして、若いうちにこの考えを持てれば良いのですが、

30代、40代でも遅くはありません。

遅いという概念さえもありません。

この年代であればむしろ後悔していることこそが今後の自分の

ブランディング要素になってくると思います。

 

例えば事業で失敗した、女性と付き合ったことがない、

友だちがいなかったなんてのは、僕から見ればあなたを魅力的に魅せる

ブランディング要素の1つにしか見えません。

ただ、この要素を魅力的に魅せるために実績は当然必要です。

だからこそ「こんな成功している人でもこんな過去があったんだ」

というブランディングに繋がるわけです。

 

さあ、その今までの経験を魅力的に魅せるために今からあなたは何をしますか?

何を心からしたいですか?

考えてみてください。

これまで夢中になったものは何ですか?

時間を忘れて没頭したものは何ですか?

それらになぜそんなにも没頭したのでしょう。

あなたが喜びを感じる時はどんな時ですか?

幸せを感じる瞬間はどんなときですか?なんでも良いんです。

 

考えて、書き出してみてください。

今の時代は見せ方を変えれば何でも価値になります。

ネットがあるので情報の拡散もできますし、

そのネットで自分の商品の販売もできます。

 

例えば片付けコンサルのこんまりさんなんかはそうですよね。

彼女は幼い頃から整理整頓が好きで、それが高じて今のビジネスに

繋がっているそうです。

というよりもビジネス化したという方が正確でしょうか。

彼女はものにときめきを感じるか感じないかで捨てるか残すかを

判断するらしいです。

この考えは普通に見たら変な人と思われるかもしれませんが、

彼女にはそんな批評なんて耳に入ってこなかったのでしょう。

 

そして彼女には「片付け」を通して目指したい世界があったのだと思います。

だからこそ本を出版し、テレビに出演し、協会まで作って自分の世界を

広げようとしています。

もちろん、これらはきちんとしたビジネスとしても成立してますし、

評判が評判を読んで彼女の英語版の本がアメリカで最近出版もされたそうです。

 

ここで大事なのは、それが彼女の本当にやりたいことであり、

だからこそ貫けた部分もあるのだと思います。

ある人は会社を辞めてけん玉で世界を獲ると言って有言実行し、

けん玉協会なんてのを作ってビジネス化している人もいます。

ある人はアイスクリーム好きが高じてアイスマンと名乗り、

メディア出演もしています。

夕日が大好きで何年間も全国の夕日を撮り続けた結果、

夕日写真家として生計を立てれるようになった人もいます。

 

Youtuberなんかも自分の投稿を後悔して反応が返ってくるのが面白くて

結果的にビジネスとして成立してますよね。

ビジネスの種はそこら中にあります。

 

ここで再度問います。

あなたのやりたいことは何ですか?

何に一番わくわくしますか?

考えてみてください。

そしてそれを通して作りたい世界を想像してください。

ビジネス的な戦略は色々ありますが、

一番大事なのはあなたのその想いです。

その想いがあるからこそ共感する人が反応し、拡散され、

さらにファンが増えます。

 

あなたはどんな世界を作りたいですか?

 

文字数:5050

作業時間:1時間半

僕はもう絶対にあの頃には戻りたくない

誰にも嫌な過去や後悔していることは1つや2つはあると思います。そして、今の現状を悲観し、楽しかった学生時代に戻りたいと思っている人も多くいると思います。でも、僕は違います。絶対に過去には戻りたくありません。これは決して前向きな意味ではありません。むしろ、僕の過去は嫌なことで埋め尽くされています。僕は、思えば幼少時代からずっと抑うつ状態にありました。親が厳しい環境で育ったため、怒られないように自分の感情を押さえてずっといい子を演じていたのです。そのため何かに熱中したり、やりたいことを思う存分した経験がなく、ついには自分の感情もわからなくなり、うつ病になりました。生き方がわからなくなってしまいまったのです。人との付き合い方も分からず、親や友人含めて全て自分の敵であるというように考えていました。光が刺さない真っ暗なトンネルを手探りで進んでいる感じです。足元に何があるかわからないし、このトンネルがどこまで続くかもわからない。寂しさ、苦しさ、嫌悪、後悔、恐怖、不安。誰もいない。どこにいけばいいかもわからない。暗く、暗く、進んでも進んでも終りが見えない。僕は絶対にあの頃には戻りたくない。

お金があったら何するか?理想のライフスタイルを具体的に考えてみた

生きていくうえでお金は大事です。お金がないと何もできません。生きるための衣食住を満たすことができないし、人と交流するときにもお金がある時とない時では付き合い方が変わります。お金は人生を豊かにします。もちろんこれは絶対ではありません。お金がありすぎるがゆえの悩みやトラブルの話は多く聞きます。でも、自分の行きたい場所、住みたい場所、買いたいもの、食べたいもの、やりたいこと、たくさんあると思いますが、これらはお金があるからこそ実現できるものも多くあります。僕の場合はお金があれば実家をオール電化にしたいですし、世界を飛び回りたいし、ブランド物の服も着たいです。住む場所もタワーマンションで、毎週一回はホテルのラウンジで食事したいです。色々やりたいことはありますが、何よりもお金があれば精神的に安定すると思います。僕は今この精神的な安定がほしいのでその手段としてお金がほしいと思っています。では、実際これから自分のビジネスでお金が稼げるようになったら何をするか、考えてみます。

 

僕の理想のライフスタイル

まずは僕自身が描く理想のライフスタイルを考えてみます。まず、パソコン一台で稼げるようになったら、海外でノマドしながらいろいろな国を飛び回りたいです。現時点では、最初の目的地はタイのチェンマイを目指します。そこからベトナム、台湾、シンガポールインドネシア、エジプト、オーストラリア、NZ、カナダ、イタリア、アメリカなどを回りたいと思います。いずれも現地で単月でアパートを契約し、1ヶ月から2ヶ月ほど滞在し、次の国へ向かうという形を取ります。今あげた国で外せないのはタイ、インドネシア、アメリカ、イタリア、NZです。まずタイのチェンマイを目指す理由は、ノマドする人たちの聖地と言われているからです。タイのチェンマイは物価も安く、Wi-Fiを完備しているカフェが多くあるとのことでノマド界隈では世界で一番過ごしやすい地域として知られています。気候も温暖ですし、寒いのが苦手な僕にはピッタリの国だと思います。タイには昔一度行ったことがあり、その時はカオサンストリートと言われるバックパッカーの聖地に行来ましたが、そこでの体験は自分の人生の中でも大きな体験として生きています。露店や飲み屋が多く出店しており、そこは世界各地から色んな人間が集まっている場所です。その時はアジア特有の熱気もあり、日本にはない刺激的な雰囲気に興奮して、隣で飲む白人の男性と会話しながら現地を楽しむことができたのですが、様々な人種の人が集まり、ワイワイ楽しく過ごしている様子は、自分が悩んでいたことを忘れさせてくれるようで、とても居心地が良かったのを覚えています。このカオサンストリートにもタイに行った時には絶対に訪れたい場所です。宿泊するのはもちろんNOVOTEL HOTEL。実はタイに行ったのは僕だけじゃなく、弟と二人でいったんです。しかもタイはただのの経由地で、その時の本当の目的地はブータンでした。ブータンには当時僕の父親がJICAで現地の農業支援という名目で滞在しており、そのJICAが日本から家族を呼ぶときにいくらか資金を支援してくれる制度があったので、僕と弟はその制度を利用してブータンに行きました。その時に、その経由地であるタイスワンナプーム空港近くのNOVOTEL HOTELに宿泊したんです。ただ、そのホテルがあまりにもリッチなホテルだったので2人共どう過ごしていいか分からず、考えた末街に繰り出そうということで行ったのがカオサンストリートだったんですね。今となってはいい思い出ですが、このNOVOTEL HOTELにはもう一度宿泊し、次はホテル自体を堪能したいと思っています。次にインドネシアインドネシアには今僕のおじが住んでいます。おじの家族は東京の赤坂に住んでいるんですが、当人は仕事で単身赴任しているんですね。このおじは大手建設会社に勤めており、今までに何度も海外で長期滞在しながら仕事をしています。そのおじが今インドネシアにいるということ、また、弟がおじを頼ってインドネシアに行ったことがあり、インドネシアの経済成長の凄さと自然の豊かさを熱く語っていたのが印象的だったので、いずれは僕も行きたいと思っている国です。次にアメリカ。アメリカには子どもの時に母親に連れられて一度行ったことがあるのですが、その当時の記憶はあまりありません。ではなぜアメリカに行きたいのかというと、つい先日アメリカで高校時代の友人が仕事のため移住したからです。その友人は美容師をしているのですが、さらなる活躍の場としてアメリカを選んだのでしょう。高校卒業以来あっていませんが、早く稼げる力を身につけてその友人に会いに行きたいです。そしてイタリア。イタリアももちろんずっと行きたい国ではありましたが、そこに高校時代の先輩が料理人として働いているらしいんですね。これまた卒業以来連絡も取っていないのですが、イタリアに行くときはその先輩にも会いに行こうと思います。もちろんアメリカでは友人に髪を切ってもらい、イタリアでは先輩に料理をサーブしてもらうつもりです。うーん、楽しみです。最後にNZ。NZは僕が高校時代に行った留学先です。NZでは僕は南島のダニーデンという街に住んでいました。気候は冬になってもそれほど寒くなく、一年を通して過ごしやすい地域なのですが、NZに行った際には、お世話になったホストファミリーに会おうと思っています。日本に帰ってきて以来連絡を取っていないので今どうなっているか分かりませんが、もし会えなくても自分が通っていた高校を見に行き、地元の名物を食べ、ラグビー観戦をしたりして過ごしたいと思っています。とりあえずこんな感じでタイ、インドネシア、アメリカ、イタリア、NZは絶対に行きたい国です。もちろん観光も忘れません。クルーズ船に乗り、美食巡りをし、現地の人との交流して存分に楽しみたいと思っています。また、海外以外を上げるのであれば、先に述べたような、タワーマンションに住み、ブランド物の服を着て、週に一回はホテルのラウンジで食事をし海外に行きたくなったら気ままに遊びに行く。そして現地で仲間と合流し、一緒に仕事をし、夜を飲み明かす。パートナーがいればそのパートナーと世界一周をし、豪華クルーズ船に乗ったり、世界のディズニーランド巡りをしたりと、お互いに自由なライフスタイルを過ごす。たまには家族で海外に旅行し、いずれは全員でハワイに移住する。とりあえず、こんなライフスタイルを過ごせればいいなと思っています。

 

 

月収で10万円稼げるようになったら何するか

月収10万。これだけではまだまだ何もできません。上記にあげたライフスタイルなんてまだまだ遠い未来です。ただ、0から1にできた段階です。0から1を作り出すことができれば後はその1を増やしていくだけです。まずはこの段階を目指します。そのためには、ただ書きまくるだけです。時間がなかろうが眠かろうが成果が出なかろうが書いて書いて書きまくるのみです。そして、収益が上がれば1つ自信が生まれると思います。その自信を糧にし、その収益はなぜ上がったのか、なぜ収益は上がらないのか、分析を怠らず、1サイト2サイト3サイトと収益の出るサイトを作れるように行動していくのみです。そして出た収益は投資に回します。教材が必要であれば教材を購入し、コンサルが必要であればコンサルしてもらい、次の段階まで駆け抜けるようにしていきます。

 

月収で20万稼げるようになったら何するか

月収で20万稼げた場合は2通りの道が考えられます。1つは実家を出ることです。今は貯金もなく、稼ぐ力もないので親元で暮らすしかありませんが、これは精神衛生的によくありません。親との確執というのもありますが、やはり実家だと支払うものがないのでどうしても甘えが出ます。自分を追い込み、そして精神的にも自立するために月収20万を稼げるようになったらまず実家を出て仙台で一人暮らしをします。そしてもう1つが、日本を出てタイのチェンマイに行くという道です。タイの物価は日本より相当安いらしいので、月収でも10数万あれば暮らしていけるレベルだといいます。なので、もしかしたら20万達成せずともチェンマイに行くという道はありますが、それはその時考えます。とりあえず、月収20万稼げるようになったら一人暮らしを始めるか、タイに出国しようと考えています。

 

月収で50万稼げるようになったら何するか

月収50万円。年収であれば600万ほどですね。一般サラリーマンの平均年収を上回れるようになった段階です。この段階にきたら、先に述べたアメリカ、イタリア、NZ、インドネシアに行こうと思います。そして現地で会いたい人に会いに行き、昔話に花を咲かせたいと思います。また、月収50万くらいあれば、ある程度の高価な物が買えたり、物価の高い欧州などにも長期滞在できるようになると思います。まずは自分の意識を高めるためにブランド物のスーツや時計、靴などを揃え、そして、欧州で暮らすのであればアパートを契約し、現地で暮らしながらカフェで仕事したいと思います。ビジネスクラスで世界一周というのもいいですね。月収50万の段階で可能かどうかは調べてないので分かりませんが、ビジネスクラスはエコノミー席にプラス3万円程支払えば乗れるというのを聞いたことがあるので、そのレベルであれば無駄遣いしなければビジネスクラスで世界一周なんてのもできるかもしれません。また、月収50万円を稼げたら、精神的な安定も得ることができると思います。もちろんサイトが飛ばされたら収入激減の可能性は大いにあるのですが、しかし月収50万円を達成したというのは大きな自信につながり、精神的にもある程度余裕を持てるようになるので、ある意味この50万円が自分が本当の意味で自由になれる最低のラインとも言えるかもしれません。

 

 

月収100万円稼げるようになったら何をするか

月収100万稼げるようになれば年収1200万円ということになります。ここまで来たら、まず家族全員を海外旅行に招待したいと思います。行き先は母親がずっと行きたがっていたイタリア。イタリアで本場のパスタやピザを食し、歴史的建造物を見て回り、ワイナリー巡りをし、クルーズ船に乗ったりしてイタリアを満喫したいと思います。期間は約1週間位。今までの恩返しを含め、特に両親には日々の疲れをこの旅行で癒やしてもらいたいと思っています。また、パートナーがいればこの段階で2人で長期海外滞在、もしくは二人でビジネスクラスで世界一周するというのもいいですね。その後はタワーマンションを分譲で購入し、仙台を拠点にしながら更にサイト作成に励み、収益を伸ばしていきたいと思います。恐らくこの段階まで来て、自由なライフスタイルが過ごせるようになればある一定のファンを創ることができるのではないでしょうか。そしたら、自分と同じライフスタイルを実現したい人に向けてメルマガ、オンラインサロン、セミナー、コミュニティ運営などを通して収入源を複数持てるようにしていこうと思います。それらの活動を通してさらに収益が伸ばすことができたら、他にも実家のリフォーム、オール電化、別荘の改築、家族に松阪牛を振る舞う、仙台の一等地にオフィスを借りる、法人化、レストランを貸しきっての起業家パーティー、ベンツの購入などなど、とにかくやりたいことは全てやりきりたいです。そしてそれらを実現した後、家族でのハワイ移住を実現させるため、月収300万円を目指します。

 

「お金は自分にとって自由になるために絶対的に必要なもの」

冒頭にも述べたように、お金があれば幸せだということはイコールではありません。お金があるゆえの不幸もあります。ですが、お金があることで得ることができるもの、体験することができるものはたくさんあります。お金があれば本当に健康に良い食事も獲ることができますし、家事が大変であれば家政婦さんを雇うこともできます。子どもにも好きなものを買ってあげることができますし、快適な住宅も購入することができます。そうすれば無用な夫婦喧嘩などは発生しないで済むかもしれないし、お金の使い方を知れば不幸な家庭は少なくなるんじゃないかとも思います。なぜこういったことを書くのかというと、僕の家は両親とも高校教師で、決して貧乏な家庭ではありませんでした。しかし、両親の口癖はいつも「お金がない」。確かに僕はと弟は私大に通わせて貰ったし、妹は小さい頃からずっと乗馬クラブに通わせてもらってました。また、僕は大学までラグビー、弟は高校まで野球だったので、そういった出費もばかにならなかったのだと思います。その資金を捻出するため、家計をやりくりして僕達に出資してくれた親には頭が上がりませんが、それでもお金がないという理由(かどうかは本当のところは分かりませんが)で夫婦喧嘩が絶えない毎日でした。その影響をモロに喰らい、僕はうつ病になるのですが、今思えば僕の両親はお金があっても心が貧乏な人間だったのではないかと思います。特に父親はその傾向が強く、精神的に弱いから周囲に当たり、はたから見たらいらないようなものでも「もらってきた」、「安かったから」という理由で家に持ち込んでいるので、現在家の中や庭は物で溢れかえっています。タバコはふかすし、いつも焼酎ばかり飲んでいる。酔ったらそのまま電気やテレビをつけっぱなしでこたつで寝てしまう。客観的に見たら確実に病んでいます。僕は正直そのような人間にはなりたくないですし、父親にも精神的に豊かになってほしいと思っています。なので、僕は自分のためにも、家族のためにもお金を稼がなければなりません。お金がない人生とお金がある人生であれば、絶対的に僕はお金がある人生を選びます。お金を有り余るほど稼ぎ、精神的な自由、人間関係の自由、健康の自由を絶対に手にしてみせます。そのために、自分が望む人生を生きるために、他の人の倍以上行動し、今日も書き続けます。

 

文字数:5515

時間:2時間20分

起業するタイミングっていつ?早ければ早いほどいい!

空前の起業ブームの昨今、若い人でもいつかは自分も起業したいと思っている方も多いのではないでしょうか?確かに、ネットインフラは整い、パソコンも一人一台持つ時代になりました。僕の周りでも起業家はたくさんいます。学習塾を運営する人、翻訳・通訳として活動している人、実家の農家をついで法人を立ち上げた人、30代でプログラミングを学んで独立した人、マーケティングコンサルタントとして活動している人。起業する人のイメージとして、既にスキルが十分あったから一人でも仕事ができるようになったのではないかという人もいると思いますが、必ずしもそうではありません。確かに、前職のスキルを活かして独立した人もいますが、スキルなし、コネなし、資金なしの状態で起業した人も僕は知っています。では、今の時代どうすれば起業できるようになるのか、起業家に必要なことは何なのか、僕なりに考えてみます。

 

タイミングは早ければ早いほどいい

はい。早いほどいいです。これは早ければ早いほど失敗してもまだ就職先をみつけれるということももちろんありますが、早い方がいい利点として幾つかあげていきます。まず、自分の考えで仕事ができるようになります。要するに受け身ではなく能動的に仕事ができるようになれるということです。当たり前ですよね。自分が動かなければ収入を得ることができないんですから。ですが、これって例えば企業で働いている人の場合、黙っていても仕事が渡されるので受け身であっても多少は問題ないんです。もちろん受け身ばかりであれば上司に怒られたりすることもあると思いますが、それだけで会社を変えよう、会社の業績を伸ばしてもっと社会に貢献しようなんて考える人はごく一握りの人間だと思います。大半は営業であれば自分に課せられた数字をクリアすれば問題ないと考えていると思います。ですが、起業家として仕事する場合、そんなこと言ってられないんですよね。全て自分の責任になるので、主体的に動くしかないんです。でもこの主体性は若いうちに磨いていくと、もし企業に入るようになっても相当高い評価を受けます。そもそも起業するという選択ができる時点で面白い人材だと面接でも高評価を受けることができます。まあ、別に企業に入るために起業するのではないですが、この主体性があるなしでは人間力としても差が出てきます。自責、他責と言いますが、例えば受け身の姿勢で仕事に取り組んでいる人は自責の考えではなく、他責の考えになってしまってる場合が多いんです。給料少ないからやる気でない、ボーナスでないのにやる意味ない、上司に意見すると怒られるから会議などで何も主張しない。これでは何も変わりませんし、どこの企業に行っても通用しません。逆に主体性を身に着けていれば全て自分の責任で行動するので、結果の受け取り方も違います。もし失敗したとしても何故失敗したか自分で分析し、次に活かそうとします。給料も今の自分の評価はこのくらいだと言う考えのもとで動くので、能動的に給料を上げるにはどうすればいいか考えます。他にも起業という選択を取れば、判断力、決断力、行動力、交渉力、分析力なども身につきます。これも全て自責の考えのもと主体的に行動しようとする結果得られるものです。次の利点として、若いうちから様々な人間に会えるということです。普通に会社員としても営業であれば経営者と会うこともありますが、社会には色んな人がいます。自分と同じく若いうちから起業している人、どん底から這い上がって会社を成功させた人、フリーランスで海外を飛び回っている人。会社員として仕事する場合と起業家として仕事する場合、明らかに合う人の種類が異なってきます。その理由は、起業家は人のつながりをとても大事にしているからです。もっと言うと、人によって自分は生かされているという意識が強いのです。そのため異業種交流会には積極的に参加しますし、起業家コミュニティにも属したり、ビジネスパートナーに面白い人を紹介してもらったりなど、とにかく人を大事にします。人脈と言ってもいいのですが、起業家にとって全ての人がお客様であり、ビジネス仲間でもあるのです。そのため、面白そうな人はいないか常にアンテナは高い状態でもあります。この意識はとても大切で、基本的に社会は人で出来ています。1人の人との出会いが人生を変えるなんてことはザラにあります。そういった出会いをいかに多く創ることができるかという点でも今後の生き方が変わってきます。また、起業家として人と合うことで、その関係性もより濃いものを作ることができます。それはたとえ年上の相手であっても対等のビジネスパートナーとして認めてくれたり、むしろ成功するためのアドバイスを積極的に教えてくれる場合もあります。それらの情報は他では手に入らないものも多いため、やはり若いうちからこういった他では会えないような人と出会うことは起業する1つの利点と言えます。

 

起業するハードルは低くなっている

ネットインフラが整っている今、起業のハードルはとても低くなっています。一般主婦が趣味の裁縫を活かし、ネット販売している話も聞きますし、ブログのアドセンス収入で起業している人もいます。確かに最初は軌道に乗るまで時間はかかりますが、やり続ければ結果は出ます。物販がしたければBASEを使えばいいです。アフィリエイトでサイトを作るのもいいです。Youtuberのように社会に役立つ、または面白動画を投稿して広告収入を得るという方法もありますし、勉強が得意であればオンラインサロンを開くのもありです。もし今の自分にはなにもないというのであれば英語ならまずTOEIC900点レベルを目指してフリーランスTOEIC講師として活動するという方法もありますし、Schooなどのオンラインスクールでプログラミングやコーディングを勉強するのもいいと思います。もしくは何かしらの分野に特化したメンターを見つけることでノウハウやマインドセットなどを学んで独立するという方法もあります。色々方法はあります。しかも、いま紹介したものはどれも、小資本で、在庫無しで、場所を選ばずできる仕事ばかりです。それほど今の時代は場所にも時間にも縛られずビジネスができる環境が整っています。恵まれた時代です。ですが、あくまでも継続することが大切です。例えば、アフィリエイトに挑戦する90%の人は月5000円も稼げずに諦める人が多いそうです。これはアフィリエイトの楽々月収100万円というイメージが悪いのかもしれませんが、ハードルは低くなったとしてもいきなり成功することはできません。むしろその分強豪はたくさんいます。その中でどのように自分を魅力的に見せ、ファンを獲得するか、この部分が大事になってきています。今は物も情報も氾濫している時代ですので、広告やPRのあり方も変わってきています。加えてどう戦略的に展開するかという考え方も大事です。確かに起業するハードルは低くなってきています。その中で、起業するという選択を取るなら、継続して戦略的にいかに正しい努力をすることが成功への第一歩です。

 

ビジネスとは相手に価値を与えるということ

これはマーケティング的な考え方なのですが、ビジネスとはお金と商品とのハッピーな交換です。この場合、商品とは相手にとって価値あるものでなければお金と交換してもらえません。ではどのような物が価値ある商品なのか。これは一概には言えませんが、あくまでも価値とは顧客が決めるものです。そしてその価値とは「価値=顧客が受け取る全てのベネフィット÷顧客が支払う全てのコスト」という方程式を理解することから始まります。「顧客が受け取る全てのベネフィット」が「顧客が支払う全てのコスト」を上回れば、顧客はその商品に価値を見出してお金と喜んで交換してくれることになり、その逆であれば無価値と判断しお金と交換なんてしてくれるはずがありません。そして、ここで考えたいのはその「価値」とは今の時代なんでもいいという状態になってきています。これは一例にすぎないですが、ただ相手を「褒める」というだけで起業してビジネスをしている人もいるそうです。この方のターゲティングは同じ起業家であり、将来を不安視している人に対するサービスらしいのですが、よく考えてみるとマズローの5段階欲求の中の自己承認欲求を満たしてあげているということになりますね。人間は欲求を埋めるために経済活動を行うのですから、そのように見たらただ「褒める」という行為もビジネスとして成立するのかもしれません。そして、もう1つ重要なのは、この「顧客が受け取る全てのベネフィット」が大きくなれば、高単価の商品でも喜んで買ってくれるということです。これは要するに付加価値をつけまくるということですが、例えば個人起業家であれば大手にはできないような濃いサービスを提供してあげるなどですね。この濃いサービスについては各々強豪を分析して戦略を練っていただきたいのですが、それとは別に、例えばあるエリアであなたしか知らない情報、あなたしか提供できない情報があればそれは希少性が高まり、価値も高くなります。こういったあなたにしかできない事を提供すれば価値は高まりますので、高単価の商品も作りやすくなります。しかし、ただ高単価商品を作ればいいのではなく、あくまでもビジネスは商品とお金のハッピーな交換です。この商品を買ってくれそうなターゲティングはどこか、決済方法はどうするか、フロントエンド商品は何にするかなど、戦略を練って、顧客とハッピーな交換をしていってください。

 

 

 

起業するときに必要なもの

パソコンがあれば十分だと思います。先にも述べましたが、ネットインフラが整っている時代です。ホームページやSNSで情報発信するにしろ、ネットで通販するにしろ、決済方法にしろパソコン一台あれば完結することができます。リアル店舗を持ってレストラン、カフェ、塾を開きたいんだというのであれば別ですが、それにこだわりがないのであればパソコン一台で起業できる時代です。後は、いかに自分の持っている情報を多くに人に見てもらい、価値として感じてもらえるかが勝負になってくると思います。なので、いまはどんな仕事をするにせよ、ある程度のコピーライティング力やネットの知識は必要だと思いますが、やはりそれほど多くのものは必要ないと思います。あと必要なのは行動力位ですね。コンサルなどの場合はセミナーや異業種交流会に参加するのは必要ですし、そのほうがネットで情報を広げるよりも早くお客様を獲得できます。いずれにせよ、20年ほど前から考えたら驚くほど起業に必要なものは少ないです。まずはパソコン一台、そして圧倒的な行動力を持って起業しましょう。

 

環境を整える

環境は大事です。僕であれば集中して記事を書くために一切の娯楽を捨てています。テレビは全く見ませんし、漫画も全く読まなくなりました。勉強のために本は読んでいますが、それも記事作成につかれた時の休憩中に読みます。今は実家住まいなのですが、いずれ収入が入ってきたらアパートを借りてさらに自分を追い込む環境を作りたいと考えています。また、人間関係も環境の一部です。成功したいのであれば、それを目指す同志、もしくは既に成功している人達と交流することを強くお勧めします。そのような人たちと関わることで自分の仕事への意識も高まりますし、お互いに学びを得たり共有できる部分も多くなります。これが普通に企業人として働いている友人とだけしか付き合いがない場合、自分の選択は間違いではなかったのかなど、友人と自分の今の立場を比較して将来を不安視する要因にもなりえます。であれば、そのような関係は断ち切って、同士とだけ時間を過ごすようにすれば余計なことは考えずに自分の仕事だけに集中できます。まあ、これは人によりけりですが、しかし、人は良くも悪くもお互いに影響しあっています。励まし合いながら人は生きているのも本当だとは思いますが、必ずしもそれがいいとは限りません。たとえその人はあなたの友人であっても、結局は他人なのです。他人がとやかく言おうと自分の人生を決めるのは自分だけです。もしいま自分のやりたいことがあるけれども人間関係的に悩んでいるのであれば、一度整理してみるのもありだと思います。友人はまたできます。それもとびきり濃い関係を持てる同士が。

 

一番必要なのはあなたのビジョン

色々書きましたが、一番必要だと思うのはあなたの想いであり、ビジョンです。これからあなたが提供する商品によって世界をどのように変えたいですか?その世界を叶えるためにどんな人にお客様になって欲しいですか?結局はこの部分なんです。その世界があなた自身の本当にやりたいというコアと一致しているものであれば、必然的に行動に移したくなりますし、求めるお客様像も自然と見えてきます。マーケティングには3C分析、PEST分析、SWOT分析、ペルソナ作成、イノベーター理論など、様々な分析手法があります。ですが、その手法に惑わされないでください。どれだけマーケティング的な知識があって分析し、どれだけ戦略を練って戦術を展開しても、ビジョンがなければ軸がブレ、成功しにくくなります。それよりもまずはあなたの想いです。あなたの強い想いがあるからこそ、お客様はファンになり、お金と商品を交換してくれるのです。自分のそのビジョンがあればコピーライティングスキルなんて必要ないですし、どんどん書きたい事が溢れ出てくると思います。なので、色々書きましたが、まず一番初めに考えるべきことは、あなたの想い、ビジョンを明確にし、相手にもわかりやすくコンセプト設計をするだけです。今の時代商品単体では売ることは難しくなってきました。情報や物が溢れている時代、顧客は「物」を買う思考ではなく、「誰」から買うかという思考になってきています。その点を踏まえて、自分の作りたい世界を考えてみてください。

 

文字数:5688

時間:2時間

20分の価値、1時間半の価値

時間は有限です。ここ最近そのことを切実に感じています。あっという間に29歳になり、20代も残り1年となりました。まさかこんなに早く時間がすぎるとは思っていませんでした。特に20代は、その大半をうつ病で過ごしていたこともあり、本当に苦しい時期を過ごしました。今はアルバイトで生計を立てているのですが、1日1日が本当に早いです。多分皆さんも感じているかもしれませんが、子どもの時と時間の流れ方が全然違います。小学校時代は夏休みは3週間ほどでしたが、その長さに飛び上がるほどの興奮を感じていたことを覚えています。なにして遊ぼうか。そればかりに夢中になり、バスケットゴールを持っている友達の家で暗くなるまでバスケに明け暮れていました。今は3週間なんてあっという間です。気がついたら1ヶ月が終わっているなんてザラにあります。なぜこんなにも時間の感じ方が違うのでしょうか?社会人になってスケジュール管理をやるようになった、ロジカル・シンキングが身についてきた、仕事に追われてゆっくり時間の流れを感じる隙がないなど、いろいろ要因はあると思いますが、恐らく刺激の感じ方が変わってきたのも要因の1つだと思います。

 

20分の価値

これは小学校では2限目か3限目の終わりにある比較的長い休み時間です。他の小学校は知りませんが、僕の通っていた地元の鹿島台小学校は1日に一回20分の休み時間がありました。通常の10分の休み時間に比べたら2倍もあるのです。僕はこの20分の休み時間を毎日待ち遠しく過ごしていました。確か毎日友達とドッチボールやサッカーをしていたと思います。授業終了の鐘がなると校庭に駆け出し、チームを分けて試合が始まります。サッカーならサッカーで、ドッチボールならドッチボールで夢中になって試合をし、気づいたら休み時間終了の鐘がなって急いで教室に戻るなんてことをしていました。他にも校庭には他の学校にはないアスレチックや遊具などもあったのでそれらで遊んだり、体育館裏に行ってトカゲをとったりして遊んでいました。結構活発な子どもですね。その時間は小学生の僕にとっては今とは比べ物にならないほど価値があった時間だと思います。今はどうでしょう。20分時間があったら何をしますか?恐らくタバコを吸う方はタバコ休憩をしたり、スマホでゲームをしたりして過ごすのではないでしょうか。恐らく大人になった人は子ども時代ほどその20分に価値を感じなくなり、暇つぶしに利用する程度する方が大半だと思います。ですが、これってすごくもったいないというか、大切なものを見落としていると思うんです。確かに小学校時代は勉学が本文であり、授業時間に縛られていたのでそこからの開放という意味で10分、20分という時間でも外に出て夢中になって遊んでいたのだと思いますが、恐らく僕らが子どもだった時には外界からの刺激に対して敏感だったと思うんです。これは、子どもゆえの好奇心を刺激されるということですね。だから男の子だったら虫取りとかサッカーなどのスポーツをその少ない時間でも楽しんでいたのだと思います。これがだんだん大人になってくると外界からの刺激に慣れるようになり、そしてその20分という時間を「浪費」として使うようになるんですね。やはり仕事は忙しいですから、休憩も必要です。ただ、その20分で何かできることはないでしょうか。英語の学習でもHTMLのコードを覚えるでもなんでもいいです。現状の仕事で満足しているならいいですが、何か新しいことを始めたいと考えているならその時間を使って何かできるのではないでしょうか。ご自身の好奇心が満たされるのは何ですか?これからの自分のスキルアップに役立つであろうものはなんですか?これは僕にも言えるのですが、最近何かに没頭するということがなかなかありません。それ自体に夢中になり、時間を忘れて取り組んでしまうという体験です。これはなぜでしょう。恐らく、結果を気にしてしまうからじゃないでしょうか。結果を気にするあまり好奇心が働かず、すぐに諦めたり、続かなかったりするというのは多くの方が経験があるはずです。子ども時代を思い出してください。夢中になって遊んでいる時に結果のことなんて気にしていましたか?恐らく誰も結果のことなんて考えていなかったと思います。ただそれ自体の行為が楽しいから夢中になって取り組んでいたと思います。大人になると、仕事では結果が求められます。そのくせがプライベートにも影響し、趣味としてやろうといた事が続かないなんてこともあると思います。僕もまさにそうです。結果が出なければ意味ないんじゃないかなんてプライベートでも考えていました。でもそうすると何も楽しくないんですよね。常に結果だけを気にするので、プライベートでもイライラするようになりました。じゃあこんな時はどうすればいいのか。ひとまず結果のことなんて考えないことです。そして目の前のことに無心になってとりかかってみましょう。これは禅においても大事な考え方です。修行僧は毎日早朝に起きて、庭の掃除、寺内の雑巾がけ、お経、庭にある石の整理など様々な雑務を淡々毎日行うそうです。その時に一つ一つの意味を考えながら行うととても苦痛で通常の精神ではいられないそうなので、ただ無心になりそれらの作業を行うそうです。そうするとただの石の整理でも自分で工夫するようになって楽しめるようになってくるといいます。大人になると常に時間を気にしながら生きていかなければなりません。そして一つ一つの行動が結果にどう繋がるかという考えも重要です。ですが、そればかりだとやっぱり辛いですよね。仕事では大事な考え方ですが、プライベートではその考えを忘れて、自分の好奇心の赴くままに無心になって何かに挑戦してみてください。20分という時間の流れは過去も現在も同じです。ただ、その時間をどのように使うかはあなた次第です。僕であればこの20分は情報収集に使います。本を呼んだり、ネットニュースを見たり。僕にはまだまだ勉強しなければならないことがたくさんあるので色々な情報を得ようとしているのですが、本は読めば読むほど自分の考えの幅を広げてくれるし、新しいことを知るというのは好きなので時間が開けば情報収集をしています。ですが、僕も焦り過ぎな面もあるので、もうちょっと余裕を持って取り組んでみてもいいかもしれません。20分という時間を価値あるものにできるかどうか、結果にこだわりすぎずに考えてみてください。

 

 

1時間半という価値

僕にとっての今の1時間半は、ペースが良ければ5000字程度の記事をかくことができる時間です。1時間や1時間半などの時間があればひたすら記事を書いていますね。実際家では20時位に帰ってきてずっと記事を書いています。これは僕にとって未来に繋がる時間で、とても大事にしなければならないものです。なので、帰ってきたらテレビや漫画などは一切見ず、ひたすらパソコンの前に構えてカタカタやってます。皆さんは1時間半時間があれば何をしますか?まあ、その時いる場所や状況によってできることは変わりますが、僕はPCを持たず街にいたとしても次の記事のアイデアEvernoteに書いて考えたり、お店に入って商品の情報収集などもしています。1時間半あれば20分という短い時間と違い大人でも色々なことができます。読書するでもいいですし、買い物をするなどもあると思います。ただ、この1時間半は20分より時間が長い分どう過ごすかでその価値は変わります。家にいるならリラックスタイムとしてテレビやYoutubeを見たり漫画を呼んだりして過ごすこともできます。ただ、ここでも問いますが、この時間を使って何かスキルアップできることはありませんか?僕の場合ならアフィリエイトで収入を得るためにひたすら記事を書くことです。TOEICで点数を取りたい方なら1時間半あれば模擬テストもできますよね。何かしらの資格試験を受けようと検討している人でもその情報収集や、勉強で有益な時間を過ごせるはずです。ここで大事なのは明日に引き伸ばさないということ。やるべきことを後回しにしないということですね。確かに疲れて帰ってきたのでゆっくりしたいしリラックスタイムは必要だという人もいると思います。ただ、時間は有限です。そんなこと言ってる暇はありません。夏休みの宿題ではないのです。1日24時間しかない中で、未来に向かってどう過ごすかという姿勢はとても大事です。あなたのライバルはこうしている今でも一冊でも多くの本を読み、僕の場合は1つでも多くの記事を書いているかもしれません。物事は一つ一つの積み重ねで、いきなり飛び級なんてことはありません。奇跡に頼ってもそれはあなたの実力ではありませんし、身になることはないと思います。であれば、行動するしかありません。もしあなたに将来やりたいことがあれば、行動を起こしましょう。行動でしか

未来は変わりません。そのために行動しやすい環境を整えるというのも一つの手です。まず、テレビを捨てましょう。そして、家に帰ってきたら机の前に座りましょう。自分を邪魔するあらゆる物はシャットアウトしてください。そうすることで誘惑はなくなり、勉強に集中できる環境になります。考えてるだけでは意味がありません。とりあえず行動はいつの時代でも鉄則です。今ある時間を有効活用できるように今から何ができるか、思いついたら実行していきましょう。

 

今回の記事は自分のためにも、時間に対する意識を高めるために書きました。冒頭でも述べましたが、時間は有限です。1年なんてあっという間です。ですが、その1年の中で何をしてきたのかで2年目以降は確実に変わります。面倒だという気持ちも分かりますが、やはり行動あるのみです。僕は20代の大半をうつ病で過ごしました。非常に無駄な時間を過ごしてしまったという自責の念が拭えませんが、これも今後の僕の行動の仕方次第で変わると思います。もしこのまま何もしないで生きるのであればただ残念な人のままで人生を終わることになります。もしこれが今の仕事で成功し、自分の望む未来を手に入れることができたのならどん底からの脱却ということになり、多くの人を勇気づけられることになると思います。果たして未来は変えることができるのか。行動あるのみです。そのために今日も明日も明後日もPCの前でカタカタします。今はこれしかできることがありません。ですが、行動の積み重ねで未来は創ることができます。不安になることもあります。ですが、そんな時こそ「没頭」です。本当に結果に結びつくのかは分かりませんが、未来を怖がっていても仕方ないです。修行僧が無心になって石を並べるように、無心になってお経を読み上げるように、それ自体の行為を楽しんで、時間を忘れて没頭するようにします。自分の子どものころ、確かに持っていた好奇心を思い出し、前に向かって進んでいきます。というか、人生前進しかないのです。過去に戻ることなんて誰もできません。僕も何度も過去に戻ってやり直したいと考えたり後悔したりしました。ですが、そんなこと不可能です。考えるだけ無駄なんです。これには最近気づきました。遅すぎますよね。であれば前に進むしかありません。無駄に過ごしたと考えているこの20代を価値あるものに変えることができるのか。僕の新しい挑戦です。子どもの頃のように、ワクワクしながら挑戦します。時間を大切にしながら。自戒の念をこめて。

 

文字数:4665

時間:2時間

悪いことを楽しもう!人生落ち目にあった時に笑うコツ  

人生順調に行けば悩むこともないでしょう。ですが、長い人生です。どこかで悔しい思い、悲しい思い、絶望、後悔など、気持ちが落ち込んでしまう様々なトラブルがおこると思います。実際自分の人生も順風満帆ではありません。実際、人よりも多くの苦難を経験したと思っています。そんな中今も元気に生きています。では様々な不幸にあった時にどのように考えれば落ち込まずに笑って生きていけるのでしょう。今日は僕の過去を振り返りながら、いつでも前向き考えれるマインドセットをご紹介します。

 

失業した時

僕は2回失業しています。転職ではなく、失業です。1回目は大手ネット広告会社に勤務していた時に東日本大震災と会社の不祥事が重なり、人員整理が大量に行われた時に僕自身も対象になって次の転職先も決まらないまま入社してからわずか8ヶ月で無職になりました。その次の会社もうつ病により退職しています。当然、当時は先の事について不安に感じていました。ですが、全く今は気にしていません。むしろ会社を辞めてよかったと思っているくらいです。ではなぜそのように考えることができたのでしょう。理由は、2つあります。1つは普通に会社で働いていたら会うことができない人に会えたからです。企業人として働いていても営業であれば様々な経営者の方と会う機会があると思います。その方々と経営視点から様々な話ができるのも楽しいと思いますが、今僕の周りにはそのような人ではなく、同世代の起業家がたくさんいます。そのような人たちと出会うことができたのは僕の中で大きな刺激になっていますね。仕事はもらうものではなく創るもの、という感覚の人が多いです。実家の農家を継いで一般社団法人を立ち上げた友人もいますし、大学を卒業して学習塾を立ち上げた人もいます。また、前職はCAをやっていた方で、僕と同時期に通訳・翻訳として起業した女性もいます。もちろん皆順調に売上を伸ばしているなんてことはなく、なかなかお客さんが集まらないで苦戦している人もいます。ですが、みんな前向きなんですよね。苦しいこと、不安なこともたくさんあると思うのですが、それを表に出さず、歯を食いしばって頑張っています。そんな姿を見ると、僕も頑張らなきゃ、って思うんです。学習塾を運営している人に、「正社員で働くという選択はないんですか?」と聞いた所、「正社員に何のメリットがあるんですか?」という答えが帰ってきた時は、軽いカルチャーショックを受けました。僕の周りでは今までそんな考えを持っている友人はいなく、僕自身は起業自体には興味を持っていましたが、そこまで言い切る人は初めて見ました。しかも、僕の一個下です。今は本当に起業という選択肢も選べる時代です。勉強が得意であれば個人塾開くのもいいですし、何かものづくりが得意ならそれをBASEなどのネットショップで販売すればいいんです。僕の前々職の先輩で30代からプログラミングを学んで起業している人もいます。ネタはなんでもいいんです。興味が有るものがあって、それを極めればビジネスになります。そうすると、普通の人生では出会わないような人に出会うことができると思います。僕は本当にまだまだですが、早く自分のビジネスを軌道にのせてもっと色んな起業家に会いたいと思っています。

もう1つは、困難な道を選ぶほうが楽しいからです。これには最近気づきました。うつ病患者が何言ってんだ、と思われそうですが、最近やっと昔の自分を取り戻せたんですよね。昔の自分って、むしろ悪い状況のほうが楽しいって思う子どもだったんです。人に嫌われたら、「やべ、嫌われちゃったw。どこが嫌いになったんだろう?」と逆に興味を持っていました。また、高校時代の話ですが、僕が所属していたラグビー部は弱小で、大会では毎回一回戦敗退が普通でした。メンバーも体が小さい子が多くて、僕は180cmあるんですが部活の中では僕が一番体格としても大きい方でした。そんな才能も体格も無いチームがたまに強豪校と試合することになると、決まって僕のやる気はヒートアップしていました。「絶対このメンバーで倒してみせる!」。まあ、結局勝ったことはないんですが、強ければ強いほど僕のやる気は上がっていったんです。大学のラグビー部でも、埼玉工業大学と試合した時にものすごくガタイのいいトンガ人留学生に負けじとタックルに行っていました。これは勇気でも何でもなく、ただの興味ですよね。「普通の人が強い人を倒したら面白いだろうなー」。こんな感じです。なので、状況が悪ければ悪いほど、その状況をどう覆すかということばかり考えていたように思います。要するに、戦略が好きだったのかもしれないです。その名残か、今はマーケティングを勉強するのも面白く感じていますね。子供の頃よく見ていた映画も影響があるのかもしれないです。舞台はアメリカで、アイスホッケーをテーマとした作品なのですが、特に能力や才能がない子どもたちを、これまたアイスホッケー経験がない監督がどうやって全米一のチームになるかというスポ根感動映画にはまっていた時期もありました。この精神は今も残っていますね。弱者が強者を倒す。考えただけでワクワクします。

また、人と同じことをするのが嫌いな子でもありました。右を向けと言われたら左を向くし、服も誰かとかぶっていたら嫌だし、団体行動とかも苦手でした。まあ、協調性のない子ですよね。だから、無理に自分を周りに合わせようとして鬱になったのかもしれません。まあ、こうして見てみると感性は人と違う部分が多かったのかもしれないです。なので、長くなりましたが失業してよかったと思っています。1つの道を失うということはまた新たな道が拓けるということですからね。むしろ起業したほうが大きなリターンを得ることができると思います。楽しんでいきましょう。

 

 

うつ病になった

うつ病は約9年間やってます。これもやっちゃってますね。まさか自分がうつ病になるなんて思いもしませんでした。ですが、これもなってよかったんじゃないかななんて少し思っています。うつ病は要するに精神病です。精神を病んでいる状態の時は自己肯定感が低く、自己否定に走り、過去を後悔し、未来を不安がり、攻撃性も高くなります。実際僕も体験してみて、ふつうの精神状態ではありませんでした。明らかに精神異常者です。身体症状もめちゃくちゃ出たし、心が死にそうなくらい悲鳴を上げているんです。なまじ普通の病気になったほうがいいんじゃないかと思うくらい自分をコントロールできませんでした。ですが、約1年半の療養を経て今はだいぶ良くなっています。今冷静になって考えてみると、確かにうつ病にならなければ進みたい道もやりたいこともたくさんあったし、今と違う現実になっていたと思います。ですが、今はこの状況に関して悲観的にはなっていません。むしろ活動の場を広めるきっかけにもなったと思っています。今現在日本には100万人ほどうつ病患者がいると言われています。決して少ない数字ではありませんよね。うつ病って健常者には本当に理解されにくい病気で、自分と闘いながらもがき苦しんで治していくしかないんです。僕自身も僕の苦しみをなんとか理解してもらおうとうつ病を告白したりどれだけ苦しいのかを説明したりしたのですが、理解してくれる人は少数で、むしろ甘えるな!とか言われたことがあります。いやいや、甘えてないからうつ病になったんでしょうよ。これは本当にショックでしたね。でも、僕はそういった人たちの気持ちが分かります。そうゆう人が僕の近くにいれば、相手の心を理解することができると思います。近いうちにそういったうつ病患者達のために何か力になれることをしたいと思っています。うつ病から社会的に成功した人を集めてトークライブなんか開いたりするのも面白いですね。なので、今となってはこのうつ病をどうやってブランディングに活かそうということしか考えていません。悪い経験のほうが人の共感を呼びますし、興味がそそられますからね。そのために今のビジネスを頑張って起動に乗せたい今日このごろです。

 

親に自分の夢を否定された

僕は高校の頃、大学には進まず柔道整復師の専門学校に行きたかったんです。でもその時は親の反対に会い、地元の東北学院大学に進学することになります。ですが大学で所属したラグビー部でトレーナーとしてチームに関わることで、柔道整復師に対する想いがまた強くなりました。就職活動の時期に入った時にまた親に相談しましたが、また父親の反対に会い、ここで夢を諦めることになります。普通であれば21歳なんていい大人なんで、反対を押し切って仕事をしながら貯金して専門学校に通うという選択もあったのですが、このころ僕はうつ病真っ最中。人生に絶望するだけで何も行動を起こしませんでした。ですが、これも今となってはどうでもいいことのように感じます。確かに柔道整復師として地域に貢献し、スポーツトレーナーとして母校に関わっていく人生も魅力的ですが、その後に会社で出会った人たちも魅力的だったんですよね。おかげで人生の仲間と呼べる人にも出会うことができました。どちらがいいとはいいませんが、でも親に抵抗する気概はあってもいいですね。だって自分の人生ですから、どうしようと自分の勝手です。そこで学費や何やら言いがかりをつけてくる親なんて、子どもの幸せを願う本当の親ではありません。親の子に対してあるべき姿は、その子の存在をただ感謝し、肯定する親です。子どもは親のために生きているのではありません。どんな人生を歩んでいてもその子の幸せを願い続けるのが親の役割です。それを考えると干渉しすぎる親のなんと多いことか。塾でも親子関係に悩んでいる子どもはたくさんいます。僕が親になった時には自分の好きなことを思いっきりさせてあげられるような親になりたいですね。そうしないと本当の意味で親から自立できる子には育ちません。これは僕自身もそうでした。なので、まあ今となってはどっちでもいいですが、どんな人生を歩むにせよ、子どもの夢を肯定的に受け止め、応援できる親が増えてほしいものです。そしてそれと同時に、子どもを支配したがる親のもとで子どもが育ったとしても、子どもはそれを間に受け止めず、それを糧に反抗心を養って欲しいとも思います。僕の場合は真に受けちゃって自己肯定感が低い子どもになってしまったのですが、今くらい心が回復していれば一度ぶつかってみてもよかったですね。そうしたほうが逆に絆が深まる可能性もありますし。まあ、話は逸れましたが、どちらにせよ、人生は一期一会です。夢も、一期一会です。夢がなくなったらまた新しい夢を作ればいいだけです。落ち込まず、前に進みましょう。

 

今回は自分の人生の転機になった3つの事柄を紹介しました。細かいことを言ったらもっと大量にあるんですが、今回は伏せておきます。まあ、3つとも普通に見たら最悪ですね。でも、今なんだかんだ無事に生きています。そして、この間無事に29歳になりました。まさか実家住まいでフリーター、貯金無しの状態で29歳を迎えることになるなんて思いもしませんでしたが、逆に笑えますね。笑っちゃいましょう。そして人生を楽しんでいきましょう。僕の好きな言葉の1つに「1つの扉が閉まれば100の新たな扉が開く」というものがあります。確かインドのことわざだったように思いますが、考えてみれば僕の人生って本当にそうなんですよね。思い通りになったことなんて1つもないと思います。ですが、要所要所で素晴らしい出会いがあります。なんとまあ曲がりくねった人生ですが、でもそっちの方が面白いかもしれませんよね。「1つの扉が閉まれば100の新たな扉が開く」。この言葉はまさにそのとおりだと思います。普通は扉が閉まってしまったら光を見いだせず、真っ暗な中不安でいっぱいになると思います。でもよく周りを見渡せば、色んな扉があることに気付きます。そのたくさんある扉の中からどれを選び、どの扉を開けるも僕達の自由です。うつ病にが酷い時は僕は未来に希望なんて見いだせていませんでした。まさに真っ暗なトンネルを手探りで歩いていた感じです。前は見えないし、足元も見えない。暗くて、不安で、絶望に押しつぶされそうになっていました。ですが、本当はそうじゃなかったんです。よく見れば色々な扉があることに気づきました。その中の1つの扉を僕は今開けようとしています。扉の先には何があるか分かりません。ですが、僕はワクワクしています。このワクワクがあればどんな世界が広がっていようと楽しめるはずです。悪いことを楽しむたったひとつの条件は、その状況にワクワクする事です。そうすれば何が起きても楽しめます。さあ、ワクワクしながら、その扉を開きましょう。

 

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