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高橋凌峰ががんばるブログです。

自分の強みと弱みは何なのか、考えてみる

人によって個性は様々あります。容姿、性格、趣向、経歴、人間関係など、同じような人間は一人としていません。その中で強みもあれば、当然弱みもあります。では自分の中で強み、弱みは何なのか、過去を振り返りながら考えます。

 

○小学校時代の自分

性格

内気。家庭内の雰囲気が悪く、学校でも自分を出せない。付き合っているグループも内向的な友人ばかり。

 

遊び

小学校時代は家での遊びはだいぶ制限されていたが、それでも父親がアウトドア好きということもあって釣りやヨット、キャンプ、山登りなどは家族でしていた。家族旅行は、父親の地元である岩手や親戚のいる青森などに行っており、またアメリカやドイツなどの海外旅行もこのころは行っていた。しかし当時の自分は旅行は特に好きでもなく、できれば家にいたかった。遊びで熱中していたものと言えば駄菓子屋にあったアーケードゲーム。当時は格闘ゲームが好きで、キングオブファイターズを友人と少ないお小遣いでやりこんでいた。だがゲーム自体は弱く、あまり戦略を考えずにプレーしていたので、あまり上達はしなかったように思う。あとは遊戯王カード。レアカードを求めてコレクションをするのが楽しかったが、いざ友人と勝負しようとするとここでも強いカードが自分の手元にないせいで負けていたと考えて、具体的な戦略は考えずに勝負する傾向があった。ミニ四駆は改造したりするのが楽しかった。教室で4コマまんがを書いて友達に見せていたのもあった気がする。ギャグ系。あと、遊びではないが幼い弟と妹に本を読み聞かせていて、いかに面白く読んであげるかという所のもしていた。

 

勉強

このころはあまり勉強ができるような子どもではなく、成績も真ん中くらいだったように思う。得意科目も特になく、平凡な生徒だった。

 

習い事

・柔道

小学校低学年の時に通っていた。寝技が面白く、いかに自分に優勢なポジションを取るかという所で面白みを見出していた。

 

・書道

まず母方の祖母が書道の先生をやっていたこともあり、その祖母から習字を習っていた。途中仙台の書道教室にも通っていたが、硬筆より毛筆の方が好きだった。毛筆のあの力の入れ具合で書いた文字が変化する様が面白く、いかにプロが書いたように見せるかという部分に面白さを見出していた。

 

・バスケ

小学校の高学年から学校のバスケ部に所属していたが、正直なにをしていたのか思い出せない。ただ、そこでできた友人と、家にバスケゴールのある友人の家で放課後や休みの日には暗くなるまで少人数でバスケをしていた。

 

・乗馬

小学校4年生くらいから利府の乗馬クラブに通うようになった。このころは親の勧めで入会したが、友人もいなかったので面白さは見出していなかった。

 

 

○中学校時代

性格

性格はあまり変わっていないように思う。相変わらず自分を出すのが苦手。思春期だったが、性の話も苦手で友達についていけなかった。ただ、バスケ部に入部したことや別の小学校から来た人も多く、付き合う人間は変わった。女子には苦手意識を持っていた。クラスの中心人物に対して少し劣等感もあったかもしれない。

 

乗馬

乗馬は中学校3年間続けた。だが、自分の意思で続けたのではなく、親に無理やり行かされている感覚で、本当に行きたくなかった。乗馬クラブには同年代の人もいたが、既にグループが出来上がっており、なかなかその輪の中に入れず苦しい思いをしていた。だけども障害飛越に関しては障害を飛ぶ感覚が好きで、決められたコースもいかに短縮させるかという所で自分なりに楽しさは見出していたと思う。しかしやはり人間関係がダメだったので、毎回行きたくないと思いながら親に連れられて行っていた。

 

バスケ部

バスケ部には乗馬クラブに行く土日は休んでいたが、平日は休まず練習に参加した。正直上手い方ではなく、いつも監督に怒られていた。部活終わりに居残りしたり、夜近くのスーパーの駐車場で自主練もしていたので、努力はしていたと思う。中学校時代に背が急激に伸びたこともあって最終的なポジションはセンター。しかし、レギュラーにはなれず。このころからなぜかプレーしていると目がちかちかして頭が痛くなる現象が起きていたので、既に抑うつ状態だったのかもしれない。プレーは下手なりに工夫していたので、レギュラーメンバを抜いたりしたときは達成感はあった。が、やはり上達したいという思いが薄く、人間関係での悩みが大きかったので目的意識もなく部活に行っていたと思う。部事態は弱小。群予選敗退。

 

勉強

成績上位ではなかったと思う。ただ、友人に勉強を教えてあげることもあった。塾には行っていない。

 

趣味

趣味はなし。バスケと乗馬オンリー。

 

○高校の時の自分

性格

自分が出せないところは変わらずだが、仙台の高校に行き、中学時代の友人はいない環境だったので、クラスの中心メンバーとも話すような関係は構築できた。

 

留学

高校一年の時に留学したが、正直、コミュ症のまま留学したので人間関係には苦労した。それでも向こうの人達は良くしてくれ、徐々に友人もできた。だが変な英語を話したら恥ずかしいという思いがあり、積極的に会話して英語を上達させようとはしなかった。何のために留学したのか。本末転倒。

 

部活

部活はラグビー部に入部。父親の勧め。本当は体操部に入りたかった。体操漫画の「ガンバフライハイ」の影響。今思えば美しさを求める体操の特性に惹かれたのかもしれない。やはり完璧思考。だが父親に逆らえずラグビー部に入る。部活の面白いところは普通のクラスでは関わらないような人とも同じ部活に入ることで関わるようになれること。ヤンキーっぽい奴とも友だちになった。だが、相変わらず自分をどう出していいかわからない。

留学から帰ってきた後は自分が1個下の学年に入ったこともあり、色々と微妙な関係に。だが、自分が3年生になると年齢的にも一番上になるので、全員が後輩という関係に。部長をしていた。後輩は自分を慕ってくれたので、部活が居場所だった。体もチームで一番大きかったということもあり、後輩のタックルを跳ね返したりして自分の強さを魅せつけるのが楽しかった。しかし所詮弱小ラグビー部。大会は初戦敗退。一番の年長ということもあってか、なぜかこの時も監督からいつも怒られていた。

 

 

・乗馬

乗馬は高1までやっていたが、その後辞めてラグビーに専念。

 

・友人関係

高1の頃は割と友人ができたが、留学から帰ってきた後年齢の差もあり、友人と呼べる友人はできなかった。無理して相手に合わせようと頑張ってはしゃいだりしたが、所詮無理しているので微妙な感じ。なので、楽しかった記憶はない

 

趣味

趣味は特に無し。あえていえば、留学時代に同じホームステイ先に住んでいたノルウェーの留学生から教えてもらった洋楽を聞くことくらい。だが、洋楽には高校の頃本気でハマった。特にロック。CDは高いので買えなかったが、毎週のようにタワレコに行って新曲情報をチェックしたり、TSUTAYAでCDが100円レンタルの時に一気に20枚ほど借りてMDに落としてとにかく貪るように聞いていた。夏フェスにはお金も時間もなくいけなかったので、夏フェス特大号を買って写真で会場の雰囲気や気になるアーティストのチェックなどもしていた。その時にラグビー部の後輩に聴きやすい洋楽を教えた所、その後輩がどっぷり洋楽にハマったのは人の人生を変えた唯一の成功体験。この頃から自分の持ってるリソースで人を変えることができるようになりたいと思うようになる。

 

・勉強

中の上。得意科目は留学していたこともあって英語。好きな科目は国語。特に現代文。国語では毎回テストの時にどんな文章が出てくるのか楽しみだった。この時に村上春樹の文章のかっこよさに惚れた。受験勉強は部活を引退した10月から始めたが塾には行かなかった。なぜ行かなかったのかといえば塾に行ってる奴に負けるかという根性があったと思う。そのためかなりのハードスケジュールで勉強し、大学に合格する。

 

 

◯大学の時の自分

性格

少し変わったかもしれない。中学高校の時のようなグループによる派閥などは薄いので、今まで関わらなかったような人とも交流したりした。部活でも体育系特有のノリがあるので、少し自分の殻を壊せたかもしれない。

 

部活

体育会ラグビー部に入部。同期は10人。全体で40人ほどのチーム。東北・北海道では一番強く(それでも関東とは大きな差があるが)、僕が一年生だった当時の4年制は黄金世代と言われる人たち。僕以外同期は全員スポーツ推薦で入部しており、いずれも東北の強豪から来た人たちばかりだったので、1人弱小校出身、一般入試で入った僕は最初は圧倒された。しかし、その中で自分でも通用することが分かり、周りをわかせるようなプレーをすると優越感に浸れた。他大学の体の大きい外人留学生など、自分がこいつを倒せばスターになれると考えていた。この頃は向上心も高く、上手い人のプレーを真似たり、自主練もやっていた。寝る前にイメージトレーニングもやっていた。だがそれも長く続かず、2年生の時に約1年ほど療養するような怪我をしたため、その後は腐り、復帰後もいいプレーができず、自分が4年生の時の最後の大会はレギュラーから外された。それでも、その中でスポーツトレーナーという形でチームに貢献することができるというところではやりがいを感じ、むしろこっちのほうが合ってるのではないかとも思った。メンバーが活躍するために技術の習得は怠らなかったし、夜でも自分の家(当時は大学近くに殆どのメンバーが一人暮らしをしており、自分も住んでいた)に呼んでマッサージしてあげたりしてた。チームで自分にしかできないことを見つけた感覚で、むしろ使命感さえ感じていた。マッサージもテーピングも完璧にして選手のパフォーマンスが最大限発揮できるようにという思いで望んでいた。マネージャーの手伝いもしていて、マネージャー以上の仕事もしていたのでやはり自分はサポート側が合っていたのだと思う。しかしプレーヤーとしてはダメ。人間換気では、自分は部活の中ではいじられ役で、自分をネタにして他の人が楽しんでいるのを見ればある程度は自分も人の役に立っているという感覚を覚え楽しく感じるが、度が過ぎたり何かを強要されるのはものすごく嫌だった。そういった事が増えたこともあり、最後の方は本当に辞めたくて仕方がなかった。飲み会でも周りを盛り上げるために嫌なこともさせられた。それでも逃げるのはダメだという強迫観念があり、最後まで辞めず体を引きずって、酷い時は酒を飲んで勢いつけてから部活に行ったりもしていた結果、うつ病になる。だが、人と交流することが苦手な自分にいじられ役という役割を当ててくれた同期には少し感謝もしている。

 

部活以外の交流

人間関係を部活だけには依存したくなかったので、同学科や授業で一緒になる別学科の人と交流を持つようにしていた。顔が広くなると優越感にひたれるため。

 

勉強

勉強は頑張っていたが、目的意識も特になかったので遅刻欠席は当たり前。しかしレポートや論文作成は楽しかった。情報収集をして自分なりに編集すること、そして自分の意見や考察を取り入れてまとめる作業が楽しい。また、教授の意見に反抗するようなレポートを書いたりして、逆に評価をもらったこともある。

 

趣味

ゲーム。部活の友人は同じ地区に全員住んでいたということもあり、麻雀ばかりしていた。自分は誘われても行かず、他の友人とゲームばかりしていた。この頃はスマブラドラゴンボール。どちらも格闘ゲームで、強い友人をどう攻略するかという部分で1人コンピューター相手に黙々と戦ってスキル向上を図っていた。相手と距離をとりつつ、奇襲攻撃をかけて技にハメ、自分はダメージを回避するためにいかに逃げるかという部分がキモ。後は洋楽。高校の頃程ではないが、大学時代でも様々なCDを借りて音楽を聞いていた。高校の頃は割と2000年代を攻めていたが、この頃は90年代、80年代など段々とマニアックな方に流れて行き、ジャンルもロックだけではなくジャズなど幅を広げていった。聞くだけではなく、Wikipediaを使ってそれぞれのバンドストーリーや人物背景なども調べて知的欲求を満たしていた。後は100円セールになっているCDをジャケ買いしていい出会いを探したりしてた。

 

 

就職活動

親に柔道整復師、スポーツトレーナーという夢を否定されたため、他に何をすればいいか分からず、結果就職浪人。何社か受けたが全て落ちた。

 

 

グルーポン・ジャパン時代

営業として入社。元気のいい人達が多く、刺激的だった。しかし対人関係が苦手ということもあり、営業活動にはかなり抵抗感をもちながらやっていた。でも自分ががんばれたのは所属していたメンバーのおかげ。朝8時~深夜24時まで普通に仕事し、休日出勤もあったりしたが他のメンバーが前向きだったため自分もがんばれた。この時の団結感は高く、同じ目標を持って戦う同僚は戦友という感覚だった。営業だったが一番やりがいをもったのは、契約を取った後。一番ユーザーに受けやすいメニュー構成はどうすればいいか、お店の魅力を文章や写真で様々な角度からいかに魅力的に見せるかという編集作業などが面白かった。それで完売したら達成感は大きかった。むしろ売れすぎて心配になる位な事もあった。あとは後輩(と言ってもほとんど年上だったが)にアドバイスしたりするのも楽しかった。自分が先輩から受け継いだもの(楽しんで仕事する姿勢など)を今度は自分が作るという意識でやっていた。

 

コセキ株式会社時代

この頃はうつ病マックスだったので全てが苦しかった。仙台営業所、盛岡営業所にもいたが、人生に絶望し、一番苦しかった時代かもしれない。

 

無職時代

約1年間ほぼ毎日ベッドの中。人生に絶望していたが、この状況はなんとかしなければならないという思いもあり、周りの友人にうつ病を告白。しかし、肯定的に受け止めてくれる人は少なく、結局は他人事。それで苦しみ倍増。この時に友人ってなんだろうと考えるようになった。また、行動すればなにか見つかるかもしれないということで、体を引きずりながら福島でがれき処理などの災害支援、石巻で乗馬体験指導、アフィリエイト塾参加などもしていたが、結局はもがき苦しんでいた状況で、自分のうつ病は一向に好転しない。しかし、この時に行動していたからこそ新しい出会いがあり、今の状況がある。行動と出会いで人生は変わると実感。

 

現在

現在は塾でアルバイト、テレアポのバイト。塾では個性がある子が多く、その個性を殺さず、それを強みにしながらいかに育てるかというところを考えてしまう。これは自分が今まで置かれてきた環境における不満からくるのだと思う。また、ラグビーにおける、どんな体型や身長の人でも活躍するポジションはあるので、その影響からその子はどういった場所であれば活躍できるだろうと考えてしまう。テレアポの方はアフィリエイトで収益が出れば速攻辞めたい。

 

 

 

自分の特徴

・文章を書くこと、特にそれを編集する作業が好き。自分なりの完璧な文章ができると嬉しい。ただそうすると時間がかかる。

・1人でやる作業の方が自分なりに工夫したりして最高の結果を出すようにしようと思っている

・チームスポーツより単独スポーツのほうが合っていたと思う。体操やればよかった。

・チームスポーツをしていたとしても、スターでありたい

・自分の凄さを見せつけたいと思っている。特別視されたい

・自分にとって完璧だと思うものを創りあげることができれば満足感は得やすい傾向がある。これを考えれば人に対する貢献心などもしかしたらどうでもよかったのかもしれない。

・自分が作った完璧に仕上げたものを求められればそこに承認欲求を感じやすい。これがトレーナー時代の使命感につながっていたと思う。

・総じていえば職人気質。

・完璧なことは美しいと思っている

・むしろ美しさを追求する性格のような気がする。芸術家思考なのかもしれない。

・速さよりも時間をかけて完璧なものを作りたいと思っている

・周りに変人と思われたい。同様に、変な人も好き。

・他人と同じになりたくない。

・でも周りの目は気にする。

・今まで怒られてきた分、周りから褒められたい。羨ましがられたい。

・洋楽の情報を色々な所で探していた経験から、新しい情報の収集は好きかもしれない

・その集めた情報を自分の意見を入れながら文章を書くのは好き

・ハマれば没頭できる

・変化のあるものが好き。予測不可能なものが好き。これは習字の毛筆の時に味わった感覚かもしれない。そしてそれをとらえようとすることも好き。

・人を楽しませることは好き。だが、強要されるのは嫌。

・自分を出してこなかったので少し自分を偽る傾向がある

・また同じ目標を共有できる戦友が欲しいと思っている。

・どんな人にも魅力はあり、それを最大限発揮できるようにしてあげたいと思う

・人に合わせるのが苦手。団体行動が苦手。

・だが交流範囲は広げたい。色々な人と交流することで「顔が広い」と思われたい。優越感に浸りたい。

・流れには乗りたくない。反抗したいという思いがある。みんなが右向けば左を向く、みたいな。そしてそれを評価されたら嬉しい。(例)レポートで教授の意見に反抗した時

・人の人生を変えたいと思っている(例)洋楽を教えた後輩

・営業が苦手だったのは、相手からお金を取ることに抵抗感があったから。しかしそれを乗り越えれば完璧な仕事をしようと努力する。

・他者へ要求することが苦手。

・それから考えるとプッシュ型より向こうの方からきてくれるプル型の方があっている。

・〆切が苦手。〆切を意識すると心にゆとりがなくなる。

・後輩を育てたいという思いがある

・アドバイスするのは楽しい

・自分の利益のためだけに仕事はしたくない

 

 

結論

アフィリエイトは自分に向いている仕事かもしれない